『努力』とは、どのようにすれば可能になるかを考え、実践すること。
当たり前すぎる題になってしまった。
生きていれば誰しも目標を持つ。そして、多くの場合、その後に挫折をする。
これはなぜかというと、それを可能にするための技術が無いのと、そもそもクリアすべき条件として置いたハードルが、高いからだ。要約すれば、「自分への洞察が甘かった」ということになる。
ダイエットを始めようと強く意気込んでも、長く続かないという話が多い。少し痩せても、その反動で全てが元に戻る。
客観的に見れば、その経験は無駄にはならない。一度でも具体的に実践したことで、自分の計画が甘かったことがわかるし、自分への理解が浅かったこともわかったはずだ。
主観的な思考に寄っている人は、「希望的な観測」の方が優先的になってしまう。実際に行動をしてみると、想像していたようには思った通りにいかない。想像しなかったようなイレギュラも起こる。
そういう実際に役に立つ「知識」が手に入るわけだから、これは挫折とは言えない。無駄ではなく、必要な失敗だったということだ。
そして、得ることができた実験結果と知識を持って、次につなげるための対策を立てることができる。
賢い人、何か人には到達できないような地点に達した人ほど、「失敗」はネガティブなものではない、と言う。当たり前だ。具体的に実践したからこそ、そういった知識を得られた。自分の傾向をより深く知ることができた。これをどう捉えれば、「無駄だった」「挫折した」「失敗に終わった」と思えるのか?
行動をしなければ、失敗は無い。失敗を無駄にするのは愚かだとは思うが、失敗をしたことが無い人は頼りにならない。
それだけ、物事を考える機会が少なかった人として見てしまう。
失敗をして自信を失う人は、本人(主体)の感情としては「挫折」なのだろう。
それはなぜかというと、あらゆる物事に対しての捉え方が、「情緒的」「具体的」「主観的」に過ぎるからだ。
落ち込むにはまだ早い段階で、感情を優先してしまう。もうだめだ、自分には能力が無い、と決めつけてしまう。
そうすると、その行動や失敗に対して考察、分析する機会が遠のいていく。この段階で、かつて思い描いていた理想を諦めてしまう。せっかく失敗という経験、とても有益な知識を得ることができるのに、それこそ無駄になってしまう。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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