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【本の紹介】里崎智也『捕手異論』―サトザキ流「捕手」コミュニケーション(第二弾)

サトザキの"ちょっとズルい"危機回避術

サトザキの自己主張には"哲学"がある。

前回に引き続きテーマは「自己主張」だが、今回はその「自己主張」が、自分の心を「防御」することに役立つ、という話をしたい。

ここで質問。
みなさんの周りに、「怒られやすい人」と「怒られにくい人」はいないだろうか。
実に興味深いことだが、たとえ同じミスをしたとしても、しっかり怒られる人もいる一方で、「まぁ、次がんばりたまえ」と軽く指摘されて終わる、という人もいるものだ。
前者は人生を損しているし、後者はずいぶんおトクな人生。「自分は前者に当てはまるなぁ・・・」という人からしたら、何だかずるいような気さえすることだろう。

では、何かミスをした際に、我らがサトザキはどのように対処していたのだろうか?

あるトレーナーさんの指摘によれば、僕は自分にいたらない部分があると、他人から言われるまえに先まわりをして独りごとを言うクセがあったようなのだ。
「あー、今のアレ、失敗したなぁ」
「あの場面ではもっとこうしておけばよかったなぁ」
 そうやって自分から言ってしまえば、周囲は「わかっているなら、いいや」となって、批判の矛先がこちらに向くことはほとんどない。

『捕手異論』里崎智也 2017年 p62-63

ミスをした際の立ち回りの、何と上手なことだろう。
先ほど私は「怒られやすい人」と「怒られにくい人」について触れたが、サトザキはその二者を超越している。
だって、怒られることすらないのだから。

私は、このサトザキ流コミュニケーションに、「怒られやすい人」が学ぶべき点が秘められていると思う。

「怒られやすい人」というのは、怒られるときにマイナスな気持ちを引きずったまま怒られに行ってしまうのだ。
これは自分のいたらない点をさきまわりして言ってしまうサトザキとは真逆の態度だ。
胸の中にマイナスな気持ちがある人は、態度や雰囲気にオドオドビクビクしたところが出てしまう。ミスをされた相手は、その様子を見るとさらにイライラしてしまうのだ。
この態度ではまるで火に油を注ぐようなものだ。しかしコミュニケーションが苦手な人というのはこういうことを無意識にやってしまいがち。

それよりもサトザキのように、怒られる前に自分で反省して改善点まで考えて、気持ちをスッキリとさせておくことだ。

そうして臨めば、スッキリと毅然とした姿勢や雰囲気というのが出るものが。
そしてそのような姿勢で臨めば、相手に怒る理由はもう無い。
ミスをされて怒る側の立場になって考えれば「こいつはまたやりそうだな」と思うから指摘がしたくなるのであって、「こいつは大丈夫だな」と思えればネチネチ構う必要はないのだ。

このような心の中での「準備」もコミュニケーションのひとつだ。
このちょっとした準備ひとつで、日常のストレスはかなり減るということは覚えておいても損はないだろう。

とはいえパフォーマンスとして過剰に自分を裁くのも却って相手に不快感を与えるし、改善する気がないのに言葉だけ繕ってもダメ。

フォーカスするべきポイントは、「この失敗をどう次に活かすか」。
失敗しない人はいないのだし、むしろ失敗しながらも前へ前へと道を歩んでいる人は魅力的ですらある。

だから一度の失敗でクヨクヨしなくていい。その失敗は豊かな人生につながっているのだから。

サトザキはなぜ「自己主張」できるのか

ここまで読んできた読者は、自己主張には「効能」があることがわかっただろう。

だが、日本人には「自己主張ができれば苦労しないよ」という人が多いというのもまた事実。

日本人のマジョリティに反して、サトザキは自己主張をしまくっている。
ではなぜ、彼にはそれができるのだろうか?

 たぶん、それが「しんどい」と思う人は、「相手に嫌われたくない」みたいな気持ちが強すぎるんじゃないですかね。ムダに嫌われる必要はないけど、ムリに好かれる必要もない。僕はつねづねそう思ってますけどね。

p230

本当にすがすがしい性格だ。
所詮、相手に好かれるか嫌われるかは運しだい。もしかしたら人との相性は、生まれる前から決まっているのかもしれない。
「相手に嫌われたくない」と思ってムリをしてしまう人は、このくらいに考えたほうが楽になるかもしれない。

というものの、「嫌われることを恐れない」「好かれることを求めない」は良いコンセプトではあるが実践するのは難しい・・・という人もまだ多いことだろう。
では、サトザキの心の深奥をさらに探って、なぜこのように考えることが出来るのかを明らかにしよう。

 それがまた明日の材料になるじゃないですか。今日の反省を受けて、明日はどうやってやろうかっていう。

p232

 ダメならやめればいいだけのことだし、たまには遊び心をもって、思いきったこともしていかなきゃ、いつまで経っても自分の引きだしは増えませんからね。

p233

ただただ根をつめて必死にやったっておもしろくはないですしね。

p233

私はこれらの言葉から、サトザキが捕手として積み上げた長年の習慣によって培われた「視野の広さ」を感じる。

「今日」は常に「明日」につながっている。
千里の道も一歩から。今日一歩踏み出したなら、明日は一歩踏み出したところからスタートだ。
その地点は、昨日よりゴールに一歩近い場所。
でも今日が「ゼロ」なら、今日も明日もゴールまでの距離は縮まらない。
この違いは大きい。とてつもなく大きい。でもこの違いが分かるのは、今日が明日につながるという広い視野を持っている人だけだ。

そしてもうひとつは「遊び心」。
マジメに働いても苦しんで生きても、結局人生の最後に待っているのは安らかな永遠の眠りだけ。

「死」

それは誰にだって平等にやってくる。

でも、最期に訪れる安らかな眠りまでの間に、明るく生きるのか暗く生きるのかはその人自身に選択する権利がある。

ならば遊び心を持って、人生を楽しんでから閻魔様のところに行った方が圧倒的に得だ。

これくらい気楽に考えているから、サトザキは自己主張ができるのだろう。
ここには心の「自由」がある。自由な人は魅力的だ。だからこそ、Youtubeの再生回数も伸びるのだろう。

サトザキの「愛」

あくまでも自分の心に正直に、自己主張をするサトザキ。
でも彼は嫌われない。
いや、それどころかYouTubeやAbemaの解説などでも大人気だ。

人気の秘訣はいったいなぜなのだろうか。

その答えを、サトザキが後輩から相談された際の例から探してみよう。

まずはとにかく見てあげていましたね。試合中はもちろん、ロッカーでの過ごし方や、彼女や家族とうまくいってるかまで、あらゆる事柄をぜんぶふまえてから、「こうしたらいいんじゃないか」っていう僕なりのアドバイスをしてあげる。相談なんてものは、悪いときにしかしてこないわけだから、本人の"いいとき"をちゃんと知っておいてあげようっていうのは、つねに意識としてありました。

p234

サトザキがしていたこと、それは「観察」だ。
さらに観察の観点も明確だ。彼の観察には、相手の「良いとき」と「現状(相談に来ているのだから、落ちている状態)」を理解する、という目的がある。

「良いとき」には悩みなんてなかったはずだから、良いときに戻れれば悩みは解決だ。
サトザキは相談に来た悩める後輩に対して、「良いとき」に戻してあげられるように、と思ってアドバイスを送っていたのだろう。

これは、その人が相談に来たときだけでなく、普段から相手のことをよく観て理解していないとできないことだ。

私はここに、サトザキの「愛」を観る。

普通人というのは自分が一番かわいいものだから、自分のことばっかり観ているものだ。
そういう人は他人に目を向ける余裕がないから、他人のことを知ることができない。
しかし悲しいかな、これでは愛されないのだ。

コミュニケーションには三つの大原則があるという。
ひとつ、人は誰もが自分のことが一番大切であり、自分に一番興味がある
ひとつ、人は誰もが自分のことを認めてほしく、自分のことをわかってほしい
ひとつ、人はだれもが自分のことをわかってくれる人のことを好きになる

この原則に照らし合わせたとき、サトザキは相手のことを理解し、認めるということをしていることがわかる。

そして、今サトザキは野球界に対してこれをしているのだと思われる。

だから、サトザキは愛されるのだろう。

成功している人は何か違うものを持っている。野球界の異端児サトザキは、そういう意味でも興味深い。

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