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『子宮に沈める』を見て考える

ぽちっとしてくださりありがとうございます。

今週末、特に予定がなかった私はNetflixで前から気になっていた
『子宮に沈める』
という映画を観ました。

前情報は見ずに、90分短いな…と思いながら観たのですが、途中から
「お願いだから早く終わってほしい」
「お母さん、早く帰ってきて終わって」
と思っていました。

最後の5分に関しては直視できず、目を逸らしてはいけないと思いつつ苦しくて早送りをしてしまいました。
それから数時間は子宮が痛いというかお腹と心がぎゅーっとしていました。

一日経ちましたが、まだ余韻が抜けないというか頭の中には映画の衝撃と思考がぐるぐると巡っています。


この映画は映画というより、ドキュメンタリーのような、家の様子を隠し撮りしていると錯覚するような映像でした。

手作りロールキャベツに編み物、ピクニックのお弁当など手間暇かけて子育てをするタイプの母親と2人の子どもが主な登場人物です。

夫との関係はうまくいかずに?(その理由なども詳しくは描かれておらず、こちらに想像させるようなものでした)離婚することとなり、シングルマザーとして生活を始めるのですがそこから段々と心身ともに余裕がなくなり変わりゆく母親、それを受けて変化する子ども2人の部屋での様子が描かれてゆきます。

映画を観終わった後に監督のインタビュー記事を読んでみて、なぜこんなにもリアリティのある映像が作られたのかがすごくよくわかりました。



私はこの映画のもととなった事件だけでなく、児童虐待に関わるニュースを見ていると事件を起こしてしまった人の背景にはなにがあったのだろうか、と想像します。

ニュースは特に簡潔に伝える必要があるために、
「母親がシングルマザーで夜職だった」
「交際相手とうまくいっていなかった」
とかなんとなく印象の良くないイメージの一言で流されていってしまうことが多いと感じます。

人を傷つけることは何があってもしてはいけません。許されないことをしてしまった親を擁護するつもりもありません。

ただ、分かりきっていることを判断できなくなるような精神状態と生活環境、生い立ちでなければ助かっていた命だったかもしれないということを想像せずにはいられないのです。



そして私はふと、自分の心が壊れて精神疾患になってしまった高校時代を思い出していました。

自分のあるコンプレックスが許せず、それが上手く消化できずに心の中で何十倍にも膨れ上がり日常生活に支障をきたしてしまいました。

10年経った今も思い出すと泣きそうになります。

ただ、しんどい気持ちの中でも踏ん張れたのには理由がありました。

学校の担任の先生が私のセーフティーネットとして、適切な場所や人に繋いでくれたからです。

本当に人として尊敬できる方で、沢山私の話を聞いてそばにいてくださいました。
学校の中でできる配慮やサポートはもちろんのこと、常に味方になってくださいました。
社会人になった今思い出すと、ただでさえ教員という多忙な職業の中でも迷惑な態度を一切出さずにめいっぱい向き合い続けてくださった先生は本当に感謝しています。

あまり家族の話はしていませんでしたが、なんとなく話しにくい様子を察してくださって、あらゆる方向から私をサポートするためにメンタルクリニックやスクールカウンセリング、地域のサポートセンターなどを勧めてくださりました。

どうしようもなくしんどかった私は、頼れそうな色んなものを使いました。

ただ、最初からすぐにそう思えたわけではありませんでした。

頼ることはよくないこと、悪いこと、弱いこと、迷惑だと思っていた私に担任の先生が言ってくださった言葉で覚えていることがあります。

『人を傷つけることと警察のお世話になること以外、しちゃいけないことなんて何もないのよ。方法はいくらでもあるし、選択肢もいっぱいあるから、大丈夫』

この言葉がどんなに心強く私を支えてくれていたか。

もちろんその全ての人と場所が私にとって相性が良かった訳ではないのですが、家族や友達でなくてもサポートしてもらえるものが沢山あることを知りました。

そしてどうにかその時期をなんとか過ごすことができました。

でも、不安定な精神状態の時にはサポートしてもらえる場所を探すことだって難しいし、サポートを受けている途中で傷つく一言を言われたら心がポキット折れてしまうだろうし、弱みに付け込んでくる人だっています。

この映画を観て、母親のせいだとか個人の問題ではなくて、社会全体で支援する制度や施設がもっと多く、気軽に、使いやすく、そして情報が均等に行き渡る必要性を感じました。



私の場合は心がしんどくなった時に体が危険サインを送ってくれて、たまたま病気という結果になりました。

しんどいと感じる時の結果の出方は人それぞれで、自傷行為につながる人もいれば何かの依存症になる人もきっといます。
そしてこの映画のように人を傷つける結果となってしまうこともあるのだと思うのです。

だから私は、遠い世界の出来事とは到底思えないのです。
むしろ、いつだってそうなる可能性があるとさえ思い、恐ろしくなります。

きっとこの映画でも自分とは関係のない話ではなく、自分事として母親のことを考えてほしいという想いを感じました。




少し話は変わりますが、マツコさんがおっしゃっていました。

『いろいろ分からなくなっても、差し伸べられた手に気付くくらいの世の中と向き合う気持ちは忘れないで。その光る手をつかむ勇気を持って欲しい』

すごく素敵な言い回しですよね。


この映画を観て、一人でもいいからここにある言葉たちが届けばいいなと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



夏が終わって久しぶりに自分のためにお花を買いました。






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