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ビタースイート・リベンジ

午後11時。日付が切り替わるまであと1時間と迫ってきている。

だがどうしたことか。その日投稿するべき記事は、未だ完成なる図が見えてこない。

ある程度文字を綴ることはできているものの、いざ見直してみれば相変わらず語彙力が皆無であったり、あるいは乱雑で支離滅裂な内容であったりとしている。

自分で云うのも難であるが、これをどうしてこの地より先に待つ場所に放とうとしているのかさえ分からなくなっていた。

そうして自問自答を繰り返すうちに、文字を起こすために走らせていた手が再び止まってしまう。

一定時間の息継ぎが必要である。そう脳内からそれぞれの部位に伝達が行き渡り、体を休ませようとする。

横に倒せば、自分より真上にある小宇宙かもしくは小惑星なるものが不意に降りてきて何かしらのアドバイスを授けてくれるのではないだろうか。

そんなふうに期待を込めて見上げていたが…結局何一つ降りてこなかったのである。

 

何も焦る必要はない。その日に書かなくちゃと思っていても、自分自身を司っているうちの一つが悲鳴を上げ、動かすことに対して一種の妨げを仕掛けてくることだってある。

素直に負けを受け入れたらいい。今日はどうしても何一つ浮かんでこなかったと。

そうして体を床にうずめておいて、また明日目覚めればいい。そうすれば、いくらかそれまで頭の中で思い描くことができなかったことについて、一筋の光が差し込んでくるはずだと。

けれど、やはり諦めたくはなかった。今ここで手を止めてしまったら、どこかにいるもう一人の自分に負けを認めてしまうような気がしていたから。


誰かと競い合っていたり、数字を稼ぐためにまたは自分の存在を示し続けるために続けている。

…という使命を持って臨んでいるとしたら、今日も残していくべき一つの頁をあわよくばと適当な形で刻み込んでいたことだろう。

ただそれでは果たして、真に対峙するべき敵とまともにやり合うことができているとは到底言えないものだろうか。単純に自分を大きく見せるために、虚勢を張っている行為と等しいものではないだろうか。

継続は力なり。そうは言っても、全部が全部正しい方に積み重ねることができるとは限らない。

何が正しいのか、何が間違っているのか。一つの答えにおいて人や物に頼り、やがてそこに導かれるのも悪いことではない。

しかし最終的に判断すべきなのは自分自身だ。目の前の答えから一方的な裏切りをされた際に、「あの人がこう言っていた」とか「言われた通りやったんだ」などと、恰も自分は悪くないと開き直ってしまわないように。

ある程度…いやそれ以上に、考え方を研ぎ澄ませながら自分で行動しなくてはいけない。

いつまでも子供ではいられない。けれども、あの頃に感じていたトキメキは忘れたくはない。

誰かに導かれてばかりではなく、時に自ら導き出すことも必要だ。

ただ、ここまで継続してきて少々乱れが出ているかもと自覚がある分、やはり休息は入れるべきなのかもしれない。

言葉を紡ぎ出すのはいつの日も、なかなか難しいと思えることばかりである。

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タダノツカサ
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