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双極症の私の躁奇行集

はじめましての方ははじめまして。こんにちは。森国司(モリクニツカサ)と申します。
双極症やうつ病の方にとって助けや励みになるような有益な発信をしたいと思いながら、記事の執筆活動に勤しんでいます。

この記事では、双極症の私の躁の時の突拍子もない奇行をいくつかご紹介したいと思います。躁の時は気分がハイになって元気になるだけではなく、様々な症状があらわれます。それによって生み出された数々の奇行ですが、私としてはこれもまた自分自身として受け入れています。振り返って「そんなことしてたの自分。笑」と自分に笑わされたりすることもあるぐらいです。

なぜこのような記事を書くかというと、世の中に発信されている躁のエピソードを増やして躁に悩まれている方の参考になればいいなと思うのがひとつ。
もうひとつは、私自身が自分が躁の時に活動して生まれたものを自分自身もより深く向き合いながらも何かしらに役立てたいという気持ちがあるためです。

項目ごとにエピソードを紹介していきます。


「作者不明のパラドックス」の悪用

躁だった時の私は「作者不明のパラドックス」という考え方に出会ってしまいました。

未来からタイムトラベルしてきた自分から原稿を受け取り、その原稿を書き写した作家は、スランプを脱出することができた。作者の身におきることには、一見何の矛盾もないように見える。しかし、「そもそもこの小説のアイテアを考えたのは誰か?」という疑問を考えると、答えが得られなくなってしまうのだ。
(中略)
因果律は物理学の前提となる非常に重要な概念だ。しかし、もしも過去へのタイムトラベルが可能だとすると因果律がくずれてしまうのである。そのため、多くの物理学者は過去へのタイムトラベルは不可能なのではないかと考えているようだ。

『Newton 別冊 物理学、生物学、心理学で究極の問いにせまる! 時間の謎』

その時の私はこう考えました。

「私はタイムリープしてきているかもしれない」
「ということは世の中に存在する様々な作家さんも実は自分のペンネームなのかもしれない」
「それらの作品は未来の自分が作ったのかもしれない。そして未来から過去に送り込んでいるんだ」

前提からしてぶっ飛んでいるのですが、私の場合は頭の中で考えた「設定」という名の妄念に取り憑かれて、自分の都合のいいように前提に合うような情報を集めて、自分の考えを補強して躁を加速させていってしまいます。

前回の躁では、米津玄師さんと常田大希さんの対談動画をみて、「この映像は未来のAI技術によって作られたもので、実際にはこの人たちの中身は私だ」と、ファンの方々が聞いたら大激怒するようなことを本気で信じこんでいました。
もちろん、そう妄想すること自体、根源的にお二人のことをリスペクトして好きだからこそです。「好きだから、なりたいんだ!」と、まるで子どものようです。

これ以外にも、「大文字だけで記載されたブランドは全て私が作ったんだ」という妄想設定に取り憑かれてもいました。
妻と友人の前で、大文字で書かれたタイトルの本を十数冊かかえて、「みてみて、これ私が書いたの」と子どものようにアピールしていました。

今では、外で大文字のものを見かけると冗談混じりで妻に「あれ私が作ったやつだよ」といって笑うという日常です。妄想の世界から帰って来れて本当によかったと思います。

小説家デビュー未遂

デビューといっても、賞をとって出版したとかプロの作家さんになったとかではないです。noteに思いつくがままに小説を書いて投稿しました。

うつ気味だった時に投稿したこのポストにもあるように、双極症と関係なく、そもそも小さい頃から小説家になるのが夢でした。
その夢があったため、いてもたってもいられなくなり、小説を書いたんだと思います。やはり私の場合、躁の時に自分の抱えている願望のままに妄想を信じ込む形で症状が出るのかもしれません。

躁の時の脳内設定が小説という形でアウトプットされたような産物です。小説と読んでいいのか定かではありません。AIに読んでもらった時は、自己啓発系の文章と言われました。
とはいえ、躁の時のアウトプットも自分でもあると考えているので、今後この続きを書くのも面白いかもしれないなと思っています。

絵本作家デビュー未遂

唐突に、絵本も書くんだと息巻いた瞬間がありました。

結局これは未遂というか、この構想だけで終わってしまいました。これも小説と同じように、躁の時の自分をアウトプットをせっかくだから活かす気持ちで、いずれ形にできるといいなと思っています。
躁や軽躁の時は、今まで考えていなかったことを考えるようになるというよりも、普段考えていることが増幅されて簡単に出てくるようになるという状態に思えます。
「おとなの言うことはきくな。」「日本の義務教育をポップにイノベーション」といったあたり、私自身の教育に対する課題感があらわれています。
余裕がある時にこの絵本書いてみたいなと今では思っています。

次から次へありえない設定に没入

数ヶ月の躁の期間の間に、現実と妄想の区別がつかなくなり、様々な「設定」に没入していました。

  • 人類に紛れ込んでいる神

  • 人類最後の生き残り

  • タイムリーパー、タイムリープマシンを開発した未来人

  • 人間を超える人工知能を開発した発明家

  • 有名アーティストの真の顔

色々と面白いエピソードはあるのですが、ピーター・ティールさんという偉大な起業家の本の裏に「タイムリープしているのがお前だけだと思うなよ」と書いたりしていました。
この時の私は、自分とピーター・ティールさんのどちらもタイムリープしている人という設定でした。ピーター・ティールさんの方は既に自分が時間を跳躍していることを自覚し活かしているため、伝説的な起業家となっていると考えていました。
憧れが強いあまり、上述の「作者不明のパラドックスの悪用」理論で、実はピーター・ティールさんは実は自分なんじゃないかと考えた時もありました。

こういった様々な設定への没入が最後のエピソードの前提になります。

2100年の未来にコミット

躁の私は今後の活動のためにと思い、自己紹介を書きました。そのこと自体は何ら問題ないのですが、内容がとんでもなく大風呂敷を広げたものでした。

なんと「2100年の人類の平和への貢献」が自分の存在意義だと宣言しちゃっています。生きているかも定かではないのに。

その上で、「2100年にこんなことをやるんだ!」と宣言文を作っていました。

この中に書いてあること自体は私が書いたものなので、自分自身が考えていることではあるのですが、時間軸や物量など非現実的な内容を「できる!やる!」と考えてしまっています。

2100+の中で書かれているタイムリープや不老技術に関しては、詳しいわけではありません。それなのに、「これから勉強すればいい」という精神でやることを宣言してしまっているのが躁の時の行動として特徴的かもしれません。

後続のうつの波の時にどうなったか

かなり大きな躁なので、当然反動で深いうつの波が来ました。躁の時にこれだけ散々やらかしてしまっているので、うつの時は文字通り「穴があったら入りたい」状態になってしまいます。
自分がやり始めたこと、やると言ったこと、何もかもが手に余るためです。

躁の間、妻が私の行動をウォッチして、それはあとあと後悔するだろうという行動は止めてくれていました。躁の時は特に、伴走してくれるパートナーの存在は本当に重要です。

躁のあとは、ひとつひとつ自分の中で向き合って、「躁のときの自分の行動をそのまま自分の意思や望みとはしない」ことを気をつけました。
ただ、否定するのではなく、自分自身の潜在的な望みが形に出たものとして、まずは受け入れた上で、現実問題としてそれぞれのテーマに関してどうするのかを考えるように心がけました。

躁の時も、うつの時も、私は私なのです。

最後に

数々の躁エピソード、いかがでしいたでしょうか。こんなこともあるんだなというぐらいの程度だったとしても、躁や双極症への理解が広まる助けにでもなるといいなと思います。

昭和五十五年、パパが躁病のとき、日本国から独立して「マンボウマブゼ共和国」をつくった(中略)国旗や賞状もつくって、花束贈呈もありましたね

『パパは楽しい躁うつ病』

この「パパ」は北杜夫先生です。なんと奇想天外なと思うようなエピソードですが、私は自分と同じかそれ以上にぶっとんでいる例を知ると、私は心が落ち着きます。ああ、自分だけがおかしいわけではないのだ、と。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
双極症を抱えながら胸を張って生きる人が1人でも増えますように。

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