さて、今まさに正解のない時代、自分はより自由にして根本を探究(探求)し、わからないことについては謙虚な気持ちを忘れずに勉学していきたいと思う…いきなりどうした?。
ふと、
さらに能楽が好きになったなって感じた、しょっちゅうCDやYouTubeや色々聞いてるうちに脳が慣れてきたというか、カスタマイズされてきたというか、ここ最近は演能が観れなかったけど、春以降ようやく時間が取れそうで楽しみである。
ふと、
思い出したのは、自分の名称である「Tsukami」の「ツ」は「津 近江の大津の津」から来ているということ、爺ちゃんは何を思って名付けたのだろうか、謡が好きで、若干横着で、ペースメーカーを付けた状態で町までパチンコをしに山から下りてきて、遊戯中に機器が止まった(爺ちゃんの方)なんて事があった、ま、何十年も前の話だが覚えている・・何故そんなことを自分は覚えているかというのも変なものだが。
その大津という場所、ここをテーマにした演目がたくさんある。
京都二条~びわ湖浜大津~三井寺にかけての電車旅は色んな方がお勧めしてるけど、二条での地下鉄から地上に行き、山中国道に沿ってクネクネと走る中で過ぎていく風景が何とも味わい深いものがあり、浜大津で路面電車として走り出す、電車での味変が楽しめます。
そんな中、今回は演目「蝉丸」について。
百人一首・・久しぶりに聞く言葉ですが、その中で、
「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」
という歌を書いた方で、音曲芸能の神、琵琶の祖とも言われる蝉丸さん。前回、琵琶を弾く吉高ちゃんの話を書きましたが、琵琶法師とは、
物語の内容ですが、真正面からド悲劇な話だと自分でもわかった。
もともと身分の良い家に生まれたけど、目が見えない病ゆえに家から出され、逢坂山に連れていかれます。悲しむ彼を付き添いさんが憐れんで琵琶を彼にあげました。しかし彼はそんな中でもこれは前世での行いのせいかもしれんし次に生まれたら幸せにということかなと付き添いを気遣うのです。高い服も蓑笠に替え、そこで彼は髪を剃り僧となり悲しみのどん底にいましたが、それを見ていた身内の一人がびしょ濡れの彼を庇うべく藁家を作ってあげました。もう一人、彼の身内のいわゆる皇女(姉)でもある方がいまして、今でいうPUNKヘアーですかね、髪の毛が逆立ちしていることに悩み苦しみあげくは狂い彷徨っていました。彷徨う最中、逢坂山あたりで琵琶の音と聞き覚えのある声から、彼(弟)だと気付き二人は再会します。暫し話をしたのち、正気を取り戻した姉は互いの境遇を悲しみながらお別れします。・・・こんな感じでしょうか。
姉ちゃんは去っていったのである。
ただ、悲しいだけの話である。
そして何故、髪が逆立っていたのか。
尾崎豊でいう「Oh my little girl」、野島伸司でいう「この世の果て」感である。
色んな事を思考するTsukamiである、昨夜、今更ですがNetfrixで「トッケビ」を観ていますが、シナリオの味付けを削ぎ落していくと、能の物語にみられるシンプルで無駄のないお話に辿り着くように思ったりもした。何度見ても飽きないというものほど普遍的、人間性の根源にタッチしているからだろうか。風呂吹き大根に味噌を付けても美味しいが、そのまま出汁の味だけでも食べたくなる時がある、という感じでいいだろうか。
この「蝉丸」の話を「風呂吹き大根」と想定し、最先端の調理法で美月シェフに、2時間の感動的映画にアレンジしてもらいました。
美月さんはよっぽど拓哉が好きなのだろう。
しかし、美月さんも学習されてますね、音楽療法が出てきました。
また、「ネガポジ変換」って言ったりしますが、陰から始まり陽に出ていく流れ、前向きな方向にリフレーミングしてくれるのはセラピューティックな視点からしたら有難いもんです。
話変わって、自分と美月さんとの関わり方について復習したいのですが、
なるほど。
・・・ということで、
行ってきました。
関蝉丸神社上社下社。
色んな切り口から能楽を探究する、この時間を作るようになってから、持ち出してから、無が無で無くなってきているような感じがしている、何を言ってるのかが自分でも若干わかりづらいが、ま、正直他にも趣味・クリエイティブを持つ中で、こうしてnoteを使い能について思考することで、自身の人間性や人生観について、内側から何某か変容をきたしているように感じる。身体動作での覚えはまだ無いが、聴き続ける中で、今までなかった「観」をインストールしているようなもんで、悪い気はしないが・・・不思議な、それこそ。
続く。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。