20240718 イラストエッセイ「私家版パンセ」0032 自分に絶望した時に知ってほしいこと 価値観について
人は社会の中でしか生きられません。
社会の中で人になると言っても良い。そもそも、社会がなければ、言葉を話すことができません。人間だけが他者の力を借りなければ出産できない動物です。社会は人間にとって、マンモスの牙のようなもので、生存の条件です。
ところで、社会には必ず価値観があります。何が正しくて何が正しくないのか。人はどのように生きるべきなのか。幸福とはなにか。死とは何か。
自分自身の価値観を持つと主張する人も、自分の所属する社会の価値観は強く影響を与えています。それは言語を習得すると同時に社会の価値観も受け入れるからです。
普通、自分が所属する社会の価値観は内面化され、自分の価値観と区別がつかなくなっており、無自覚です。それゆえ、無批判に受け入れられています。
自分には価値がないと絶望することがあります。
そういう時、ちょっと考えてみて欲しいのです。自分に価値がないとする価値基準、価値の物差しはいったい何なのかと。
自分で自分に価値がないと思ったとしても、自分が使っている価値基準は、無意識のうちに、無批判のままで社会から受け取ったものであることが多いのです。
例えば偏差値が低い自分には価値がない。
しかし、偏差値で人間の価値を決める価値観は、日本社会のものであって、それが全てではありません。
この世界にはたくさんの社会があり、それぞれ異なった価値観を思っています。つまり、価値観は多様なのです。
このことをまず知ることが大切です。自分が信じている価値観は絶対的なものではない。あくまでも日本で通用するだけのものなのだ。
だから、日本の価値観で価値がないと思ったとしても、絶望することはありません。それはあくまでも日本の価値観だからです。
例えば、日本では勤勉は良いことだとされていますが、勤勉は格差を生む、貪欲なのだと考える社会もある。確かに、人間の勤勉さが自然を破壊していると言えなくもありません。
現代社会は恐ろしく資本主義が進行した社会です。ここではあらゆるものは商品になります。市場原理が強く働き、生産性が重視され、能力主義と競争原理が支配しています。しかしそれも一つの価値観にすぎません。個の価値観の中で、多くの人が絶望しています。でもそれは、あくまでも現代社会の価値尺度で測った場合のことなのです。
自我の確立という言葉があります。一人の人間として自立するという意味です。一人の人間としてちゃんと物事を考え、決定し実行できるようになるためには、まず、自分が所属する社会の価値観を意識化し、相対化しなければなりません。
その一番良い方法は、異文化との遭遇です。未知との出会いです。たった一つで良いのです。今自分が信じている価値観が絶対ではない、ということが分かればそこからがスタートになるんです。
現代社会では特に、市場原理と能力主義を相対化しなければならないとぼくは思っています。
ちなみにキリスト教の価値観では、人は能力によらず、生まれながらに価値があると考えます。そういう価値観もあるのだと知ることは、もしかしたら絶望しているものにとって救いになるかも知れません。
内田樹先生は、自分の価値観がくつがえるような未知との出会いに心を開いておくこと。これが学びの本質だと言います。
ぼくは、あらゆる差別は偏見は、無知がベースになっていると思います。知れば知るほど、世界は多様であり深いのです。
自分の価値観が内面化したままで、それが絶対だと思っている状態。これがソクラテスの言う「無知」の状態であり、養老孟子先生の言う「バカ」の状態なんです。それは右翼であろうと左翼であろうと変わりません。
私家版パンセとは
ぼくは5年間のサラリーマン生活をした後、キリスト教主義の学校で30年間、英語を教えました。
たくさんの人と出会い、貴重な学びと経験を得ることができました。もちろん、本からも学び続け、考え続けて来ました。
そんな生活の中で、いくつかの言葉が残りました。そんな小さな思考の断片をご紹介したいと思います。
これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。
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