イラストエッセイ「私家版パンセ」0074 「ゆるすに早く、怒るにおそく」(教育論)20250107
ぼくは30年間学校の先生をやっていましたけれど、「生徒をゆるすことにおいては軽率であってよい。けれども怒るときには慎重であるべきだ」という風に考えるようにしていました。
子供は、いや、人間はしばしば嘘をつきます。それは本能のようなもので、とっさにピンチから逃れようと嘘をつきます。
でも嘘をついた方が後々大変ですよね。信用も失います。そういうことが分かってくると、人は正直になります。正直の方が結果的に得だと学ぶからです。嘘は自然で、正直は学習の成果なんですね。
ぼくもたくさん生徒に騙されました。笑
例えば、
「宿題はどうしたの?」
「あ、駅のトイレにノートを忘れてきました。」 笑
「煙草のにおいがするけど?」
「さっき神社に行ったら、ホームレスのおじさんがいて、ちょっとこのタバコ持っててと言われたんです。あんまり可哀そうなおじさんだったので、つい同情して持っていたら、臭いが移ったんです。」
これは文学賞レベルですね。
でも、何回も騙されているうちに、人間関係が出来てきます。
いざという時に、はっきり物事を伝えることができるようになります。
騙されて困る、ということは実際ありません。
(さっきも言いましたが、実は困るのは騙した方なんです。)
「ごめんなさい」と言いながら、同じような悪さを繰り返す子もいます。
「あいつの『ごめんなさい』はニセモノだ!」とフンガイする先生もありますが、ぼくは悪さをするのも、「ごめんなさい」と言うのも両方本心だと思います。
人間は弱いものですからね。
こういうことを繰り返すうちに、やっぱり人間関係ができてゆきます。
ということで、騙されても、やんちゃを繰り返したとしても、ゆるすことには軽率であっても良いと思うのです。
繰り返しますが、軽率にゆるしても、特に困ることはありません。
しかし怒ることについては、慎重であるに越したことはありません。
先生も人間ですから、ついカッとなることもあります。これはこれで人間味があって良い部分もあります。
でもカッとなってしたことで困ったことは無数にあります。
それで、いつしかムカッとすると、一旦我慢して、翌日叱るようになりました。怒るのではなく、叱るように。
もちろん命の危険がある場合は、その場で叱らなければなりませんが、そういうケースは非常にまれです。
荒れている生徒がいます。反抗的で悪態をついてくる。
バカヤロー!って言いたいのをぐっと我慢して、次の日、「おい、あの時、どうしたんだ?」と聞きます。
すると、例えば、「両親が離婚してね、悲しくて悔しくて仕方なかったんだ」などという答えが返ってくる。(これは嘘ではありませんでした。)
ああ、短気に怒らなくて良かったと胸をなでおろすことが何度もありました。
ゆるすに早く、怒るに遅く。
本当にこれで損をしたことはありません。
要するにメンツをあまり気にしないことです。
先生の中には、叱る(怒る)ことが先生の仕事だと思っている人が多いんですよね。少なくとも、騙されたりゆるしたりすることが先生の仕事だと思っている人よりは多いと思います。笑
すぐに怒って、なかなかゆるさない。
しかしながら、これは子供だけではなく、大人もしんどい生き方だと思うのです。
余談ですけれど、親にはこれが難しい。
親は子供の人生を本気で心配していますから。
親はがみがみ言うものです。
ですから、子育ては親と、そして他人(学校)の両方が必要なのです。
私家版パンセとは
ぼくは5年間ビール会社のサラリーマン生活を送り、その後30年間、キリスト教主義の私立高校で教師として過ごしました。多様で個性的な生徒と出会い、向き合う中で、たくさんのことを学ばせていただきました。そんな小さな学びの断片をご紹介します。これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。