20241104 イラストエッセイ「私家版パンセ」0063 人はなるべき自分になる ユング心理学より 教育学
人間は一本の木のようなものである。例えばある人が林檎の木ならば、その人の仕事は林檎の実を結実させることにある。これを自己実現という。教育の仕事は、その人が林檎の種であれば林檎の木に成長させ、林檎の実を結実さする援助をすることである。梨の実をならせようとすることではない。
以前、そのように書きました。
今日はそこからちょっと先に進んで考えてみたいと思います。
なるべき自分になってゆく。これを心理学者のユングは「個性化の過程」と呼びました。そして人間は自分以外の何物にもなることはできないとも。
そして更に驚くべきことを言います。それは、もしその人が泥棒ならば、ものを盗むことがその人の自己実現であるとまで言い切っているのです。
つまり、もしある人が毒リンゴの種ならば、毒リンゴをならせることが、その人の仕事ということになります。
教育の仕事はリンゴの種を立派なリンゴの樹にすること。
このように聞くと美しいことのように思えますが、それがもし毒リンゴだったら、教育する者はどう向き合えば良いのか?
大きな問題です。
子どもと悪の問題というものがあります。
いや、そもそもなぜこの世に悪が存在するのか?
子どもが悪に染まったらどうするのか?悪に対してどのような態度をとれば良いのか?
実際、学校から「悪」が消えることはありません。飲酒喫煙、盗み、いじめ。実社会と同じように学校は常に問題をかかえています。
ユング心理学者の河合隼雄先生に「子どもと悪」という著書があります。
先生はその中で、「子どもから悪を遠ざけることは、かえって子供の健全な成長をさまたげる。虫を殺したり、戦争ごっこをしたり、そういうことも子供が育つ中では必要なことなのだ」と言います。
しかし同時に「だからと言って、学校や教師、親が子供に悪をすすめることは『誠実ではない』」とも。
ぼくの実感として、これは最善ではないにしても、人間の取り得る精一杯の態度だと思います。
当然のことながら、虐待やネグレクト、子供を戦争の道具に使用したりすることは論外です。ごく一般的な環境の中でのお話です。
ぼくが教師をしていた高校の校長先生が、生徒の問題行動を見てこんな風に言ったことがあります。
「なくてはならぬ、あってはならぬこと。」
確かに盗みやいじめはあってはならないことです。けれども、思春期の若者が問題を起こすことは、彼らが成長するためにはなくてはならない過程なのだ、という意味です。
だから生徒指導(生徒の問題行動に向き合うこと)は、大切な仕事なのだと。
温室の中では子供は決して育つことはできないんですね。
もう一つ別の視点があるように思います。
それは、「悪」とは何か、という視点です。
わたしたちが現在、悪と呼んでいるものの本質は何でしょうか?それは往々にして現在の体制にとって有益であるか否かということではないでしょうか。
例えば害虫は悪とされています。それは農作物に害をなすからです。
破壊は悪とされています。しかし圧政に対して革命(破壊)を起こすことは正しいことであるという見方もあるのです。
盗みは悪であると言われます。
しかし、盗むことがなければ、先進国が今のように栄えることはなかったでしょう。
善悪の問題は相対的であり、時代との関係も無視できません。
カメムシは害虫ですが、自然界において不必要な存在はありません。毒蛇もしかり、毒リンゴもしかりです。
そこには人知を超えた摂理が働いているんです。
なおさらのこと、教師が「悪い生徒」と言う時に使う「悪い」という言葉は、実にまゆつば物であると言わなければなりません。
多くの場合、それは「教師に不従順な生徒」という意味なのです。
実際、戦前では軍国主義に逆らう生徒は悪い生徒でした。
また、性的マイノリティが「悪」であるとされていた長い歴史があったことも忘れてはなりません。
わたしたち人間は、そして親であり教師は、もちろん自分の善悪の判断に基づいて、最善のことを子供たちにしようとするものです。それは「誠実な」生き方だと河合隼雄先生も言います。
一般的な善悪の通念というものが社会にとって非常に重要であることは論を待ちません。これは大前提です。
しかし時に人間は社会や教師の思ったようには育たないことがある。
そのことの意味を、しっかり受け止め考える必要がある。人間としての生き方がなぜこのように多様なのか。その神意に対して謙虚であるべきである。
長く、多くの生徒たちと接して来た印象としては、やはり人はなるべき自分自身になってゆきます。
おそらくそれで良いのだと思います。
たとえそれが毒リンゴであっても。
そこには人知を超えた深い意味があるように思うのです。
私家版パンセとは
ぼくは5年間ビール会社でサラリーマン生活をした後、キリスト教主義の学校で30年間、英語を教えました。 たくさんの人と出会い、貴重な学びと経験を得ることができました。もちろん、本からも学び続け、考え続けて来ました。 そんな生活の中で、いくつかの言葉が残りました。そんな小さな思考の断片をご紹介したいと思います。 これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。