イラストエッセイ「私家版パンセ」0069 四十歳は迷いの時・生活の方針を立てる20241205
何か毎日が右往左往しているような、目的もなく漂っているような、地に足がついていないような、そんな気持ちになることがあります。
そういう時、ぼくは昔から自分の生活に方針を立てることにしています。しばらくこんな風な考え方で生きてゆこう、みたいな。
これは一度立てれば良いと言うものではなくて、時々見直すことが必要になります。何でも陳腐化して、意味が失われ、形骸化してしまうものですからね。
ぼくはもう還暦を過ぎましたが、四十歳の時に立てた方針というものが机の中から出て来ました。
それをちょっとご紹介したいと思います。
偉大な仕事、それは物語を編むことである。
美しいこと、それは魂の音楽を奏でることである。
尊敬すべきこと、それは日々の労働を誠実に行うことである。
謙虚であるために人は口を閉じなければならない。
精神を高めるために、人はあるもので満足することを学ばなければならない。
人生の進むべき道をするために、人は聖書の言葉に耳を傾けなければならない。
平安を得るために、人は「御心のままになりますように」と祈らなければならない。
四十にして惑わず、とは論語における孔子の言葉です。
でも実際、四十歳というのは、第二の思春期と呼ばれるほど迷うものなんですよね。
四十になるまでは、人生はまだ上り坂。見えているのは空なんです。
ところが四十を超すと下り坂に入ります。すると見えているのは終点である「死」なんです。
その時、ものすごく心が動揺するんです。そして家庭を持っている場合、自分の子供が思春期にさしかかっていることが多いので、家族全体が動揺します。思春期の子供の問題と親の第二の思春期の問題が重なってしまうんです。
人は死を意識した時、自分の人生はこれで良かったのかって思うようです。今まで夢中で歩いて来たけれど、本当にそれでよかったのか。
それまで軽んじて来たこと、無視してきたこと、あえて見ないようにしてきたこと、しなかったことが自分に襲い掛かって来る。
同時に、社会的にも中堅になって、日々の雑事が最も忙しいのがこの頃です。
そんな時に書いた生活の方針。
抽象的なことばかり書かれていますけれど、結構しんどかったんだよなって思い出しました。笑