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【過酷な現実から目を背けるな】逢坂冬馬著「同志少女よ、敵を撃て」【大人の読書感想文】

銃を構え、緊迫感溢れる少女の表紙が印象的な「同志少女よ、敵を撃て」

1942年のロシアとドイツの戦争を舞台に、狙撃手として激動の時代に身を投じる少女を描いた大作です。本屋大賞にも選ばれた本作、タイトルだけでも耳にしたことがある方はきっと多いのではないでしょうか。

戦争をテーマにした作品を、私は意識的に避けてきました。その物語の中で描かれるであろう、残虐性や悲哀、避けては通れない大勢の死に対して向き合う自信が無かったからです。

この作品も、最初から主人公の目の前であまりにも理不尽且つ残虐な行為が繰り広げられます。

「お前は戦いたいか、それとも死にたいかと聞いている!」

絶望の淵から主人公がどう這い上がり、過酷な世界をどう生き抜いていくのか。

正直に言うと、時々ページを本を閉じてしまいたくなるぐらい、凄惨なシーンも多数出てきます。それでも最後まで主人公の生きざまを見届けたくなるのがこの作品。

私と同じように戦争ものを敬遠しがちな方にも、どうかこの本が描く「敵」の正体を見届けてほしいと思います。

あらすじ

1942年.モスクワ近郊の農村で暮らす16歳のセラフィマ。独ソ戦が繰り広げられる最中にあっても、大学進学を間近に控え、母と共に猟をしながら生活していた。

ある日、悲劇が彼女を襲う。突如現れたドイツ軍によって、彼女の村人全員が殺され、一緒に猟に出ていた母も目の前で撃ち殺されたのだ。

自身も殺される寸前に現れた赤軍の女性兵士イリーナにセラフィマはこう問われた。

「戦いか、死にたいか」

母を殺したドイツ兵士と、自身の思い出の村を焼き払ったイリーナに復讐を誓うセラフィマ。かくして彼女は、イリーナと共に狙撃学校に向かい、一流の狙撃兵になるための厳しい訓練に身を投じることになった。

本作の魅力①:個性豊かな登場人物たち

生まれ育った村の人々、そして母を惨殺されたセラフィマがイリーナに連れてこられたのは「中央女性狙撃兵訓練学校」

実際の史実でも、ロシアには女性の狙撃手が数多くいたそうです。

ここでセラフィマは、狙撃手を目指す同年代の女性たちと切磋琢磨していきます。彼女たちの共通点は、戦争で家族を失ったこと。

その悲劇に憂いている暇もなく、過酷な訓練を重ねていく彼女たち。

イリーナを崇拝し、セラフィマを当初はライバル視するも、徐々にかけがえのない親友となるシャルロッタ。
ママと呼ばれる、心優しい最年長のヤーナ。
天才肌で孤立しつつも、圧倒的な実力で皆に一目置かれるアヤ。

一人ひとりのキャラクター性がはっきりしているので、登場人物が多くても混乱することなく、物語に入っていけるのはこの作品の大きな魅力の一つ。

戦いの最中でも年頃の女の子らしい仕草や会話をする彼女たちを、きっとあなたも応援したくなるはず。そして、彼女たちを待ち受ける戦争の熾烈さに必ず胸を痛めます…。

でも大丈夫。面白いのでどうしても先が気になるこの作品。どんなに辛くても、ページをめくる手は止まらないのです。めちゃめちゃ辛いけど…。

本作の魅力②:「敵」の正体

本作において、重要且つ私が一番目をそらしたくなったのが、女性に対する男性兵士の暴行でした。

ロシアのウクライナ侵攻のニュースでも、一番最初に「ロシア兵士によるウクライナの民間人への女性暴行」の報道がある度に、私は何とも言えない恐怖で唖然としたものです。

第二次世界大戦の時の教訓が何も生かされていないのか、という恐怖。

ただでさえ戦禍の中で必死に生きている女性たちの尊厳が踏みにじられる様を想像しただけで畏縮してしまう。恐らく多くの女性は—女性だけではなくきっと男性も—同じ気持ちだと思います。

だからこそ、本作で語られたこの一節があまりにも衝撃的でした。

裏を返して言えば、集団で女を犯すことは部隊の仲間意識を高めて、その体験を共有した連中の同志的結束を強めるんだよ。

戦時下という極限状態で、下劣な行為が繰り返される意味。その行為に蹂躙される女性たち。

これを書いている今でも、この事実に対する自分の感情を上手く表現できません。それを言葉にできるようになる時は、私には来ないかもしれないとすら思います。

私はこの本を、どうしても現在のウクライナ侵攻と重ね合わせて読んでしまいました。

今読むには辛すぎる物語かもしれません。けれど、だからこそ今読むべき物語とも言えます。

戦争の愚かしさに対する解像度が少しだけ上がったことは、この本を読んで手に入れた大きな財産だと思います。

壮大なるネタバレ:ミハイルと私


※ここから先は本作の核心に触れるネタバレになるので、未読の方はご注意ください。

セラフィマと同じ村で一緒に育ち、将来は結婚を(勝手に)噂されていたミハイル。その後、セラフィマと感動の再会!という展開に、しんどいシーンの連続で若干重たい気持ちが続いていた私は思わず浮かれてしまいました。

ミハイルを若い頃のレオナルド・ディカプリオで想像していたのです。

そこから、まさかの再会。「もし生きて帰ってきたら―」という台詞。最高にカッコいい。最高に素敵。セラフィマにもこういうときめきがあってもいいよね、と思ったら。

最後の最後に  お ま え なあ !!!!

この作品はあまりにも文章が流麗なので、ずっと一本の映画を見ているかのような気分で読むことができます。

ミハイルがドイツ人女性に対して乱暴するシーンは、脳内のカメラワークでスローモーションに映しとっていきました。

「そんなことをするぐらいなら死んだ方がマシさ」と宣言しておきながらの裏切り。誠実だった彼を知っているからこその、悲痛。

中盤以降、夢中でページをめくっていたのですが、このシーンがあまりにも辛くて一端本を置きました。そんな女性読者はきっと私だけではないはず…。

(完全に余談ですが、アナ雪を初めて見た時の「ディズニーの王子様が悪役だなんて…」と呆然としていた時を思い出しました)

そんな私とは違い、躊躇うことなくミハイルに向かって引鉄をひくセラフィマ。

思い出されるのは、中央女性狙撃兵訓練学校でのイリーナとの会話。

「ちょうどいい。起立して、それぞれ個人が戦う目的を述べろ」
(中略)
セラフィマは思考を巡らせた。同級生たちの答えの間も考え続けていた。通り一篇の答えではなく、かといって本音でもない。伝わるべき人間に伝わる言葉。
「敵を殺すため」

同志少女よ、敵を撃て。

タイトルに込められた意味、その重さ。

作品のベースとなった史実、そして現在進行形で行われている戦争についてもっと知りたいと思わされる重厚なこの作品に出会えて良かった。

戦争と向き合う勇気をくれた本作を、どうかあなたも読んでみてください。


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