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【インタビューエッセイ】優しさを与えてくれた場所
「学校」って不思議な場所だ。
学年があって、クラスがあって、仲が良い子もそうでない子も苦手な子も、全部ひっくるめて1年間過ごす。
同年代の子どもだけではなく、大勢の先生たちと関わりながら。大人になった今、あの環境に戻れるかと聞かれたら躊躇してしまいそうだ。
振り返ってみると、学校は私にとってはほとんど唯一の家族以外の「大人」と日常的に接する場所だった。
自分から積極的に先生に対してコミュニケーションをとるタイプの生徒ではなかったけれど、ホームルームや道徳などで先生の話を聞くのはとても好きだった。
「先生」という、家族でも友達でもない、身近でありながらちょっと特別な「大人」の話を聞くのが好きだったのかもしれない。この文章を書きながら改めてそう思う。
中でも、自分にとって一番思い出深い先生がいる。中学3年の時の担任の中野先生だ。
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中野先生は「フラット」という言葉がぴったりな先生だった。誰に対しても常に同じように温かく、時々生徒を茶化したり、逆に茶化されたりしていて、クラス全体がいつも和やかな雰囲気に包まれていた。
皆先生のことが好きだった。普段先生のことをあだ名で呼ばないような子も先生のことを「中野っち」と呼んでいたし、誰が言い出した訳でもなく、先生の誕生日にサプライズで黒板にお祝いのメッセージを皆で寄せ書きしたこともあった。
「学校に来たお客さんに女性教員がお茶くみするのはおかしいから、自分が率先してやっているけど、時々変な顔をされるときがある」なんてユーモアを交えて話してくれるときもあった。
そんなちょっとした話から見える先生のスタンスや考えが好きだったし、今でも深く心に残っている。
大人になった今でも、当時のクラスメイトと集まって食事をする機会を自分から設けているのは中野先生だけ。
あの時と同じように先生の話を聞きたいと思っている自分がいるからだ。
先生からのメッセージ
中野先生とのエピソードで一番思い出深いものがある。当時、宿題の一環として「自学(自主学習)ノート」というものがあった。
要は「1ページだけでもいいから、毎日自主的に勉強しなさい」という趣旨の課題だ。英単語を書きとってみたり、数学の問題を解いてみたり。各々自由にその1ページを埋めていた。
そのノートの下段3行目ぐらいには日記スペースが設けられていて、やっぱり皆好き勝手なことを書いていた。
先生との交換日記というか、一つのコミュニケーションの場所だったように思う。私も、自分が書いた日記に対するコメントを読むのが楽しみだった。
ある日、自学ノートの全ての行、見開き1ページ全てにその時考えていたことをずらずらと書いて提出したことがあった。
30行×2ページ、60個分の1行日記のようなものだ。
おまけにそれら全てが本当にくだらない内容だった。「猫に挨拶したのにそっぽ向かれたので悲しかったです」とか。
当時、私の家で不幸があり精神的に少し不安定だった。表面上は自分なりに平気なふりをしていたかもしれないが、本当は何でもいいから誰かに自分の話を聞いてもらいたかったのだ。
自学のノートが返ってくるとき、私は楽しみ半分、ちょっとドキドキしていた。先生は何てコメントしてくれただろう。呆れられたかも、と不安にもなっていた。
そう思いながら返ってきらノートを開いて驚いた。私が書いた1行1行その全てに、先生がコメントを書いてくれていた。
ほんのちょこっと、「いっぱい書いたな」だけでも良かったのに。絶対忙しいのに、先生こんなに時間割いてくれたんだ。
そう思いながら、全てのコメントを何回も読み返した。私のためだけに、忙しい先生が一文一文綴ってくれたこと、それが何より嬉しかった。
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大人になってから、再会した中野先生にその話をすると、覚えていてくださっていた。
「あれ見たときは久々に力入れたね。リフレーミングって言うとけど」
リフレーミングとは、物事の枠組みを変え、違う視点から見ることを意味する心理学用語らしい。
ネガティブな物事も、考え方の前提を変えることでポジティブなものとして捉えられるようになる。
確かに、先生のコメントは私の自虐的なぼやきにも「それがあなたの優しさ」なんて、ポジティブなコメントを返してくれていた。
あの時もらった先生の優しさを、私はきっといつまでも忘れない。
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先生が大切にしているもの
中野先生は、生徒の前で自分のことを「先生」とは言わないそうだ。そういえば、担任の先生だった頃も、「私は」といつも言っていたのを思い出した。
「教師になってから、最初は気が張っていて、生徒との距離感に悩んでいたときがあって。でも途中からいばることをやめた。」
先生にいばっているようなイメージは全くなかったので、素直に「えっ、そんな時があったんですか?」と驚いてしまう。
当時は「子ども(生徒)」と「大人(先生)」という関係性の中でしか見れなかった。けれど自分も社会人となった今、先生も試行錯誤された中であの時の姿があったのだなと思い浮かばれる。
現在の私よりも年下だった、新任の頃の先生に会ってみたくなった。
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「自分が同和教育(部落差別の解消等、人権を尊重する社会の実現を目指すための教育活動)と出会ったことも、考え方が変わったきっかけの一つ。同和教育で有名な、お世話になった先生の一人に「子どもとの接し方はね、目の前にあるものじゃなくて後ろを見なさい」って習ったことも大きかった。」
不登校になった生徒さんの家へほぼ毎日のように通ったり、親御さんに叱責されたり。中学生の頃は知らなかった、先生を積み上げてきたもの一つひとつが確かにあった。
「人権とか同和教育に携わっている中で、自分の中の無意識的な差別性・偏見に気づくための機会は人より多く体験させてもらっているかも」
先生は人権や同和教育に携わって15年以上になるそうだ。今でも精力的に活動されている。先生のフラットな姿勢や、あの時素敵だなと子どもながらに感じていた物事の見方の片鱗が見えたような気がした。
教師として大事にしていることは何ですか?そう尋ねると、「絶対に背伸びしないこと、あとは虚勢を張らないことかなあ」と先生は答えてくれた。
「担任はやっぱり楽しいよね。どの先生よりも「自分の先生」と思ってくれる」
そう、何年経っても中野先生は私にとって大切な先生だ。
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学校がくれたもの
学校は、子どもにとって一番最初に出会う「社会」だ。
その最初の世界で、先生やクラスメイトをはじめとした家族以外の存在が自分を受け入れてくれ、背中を押してくれ、自分の感情に共感してくれる。
そして、一人ではできないものでも、誰かと一緒ならば作り上げられることを経験する。
消化できない感情を持て余して、上手くコントロールできない未熟な時期。そんな時の自分を優しく見守ってくれていた大人が沢山いて、その人たちからもらった言葉が、私の中にずっと残ってくれている。
人からの優しさや思いやりは、自分の中に同じものがないと気づけない。誰かの愛情に触れた時の感動できる素養は、今まで生きてきて出会った人から少しずつ手渡されていったものなのだと思う。その積み重ねが今の自分を作っている。
誰かの優しさを受け取りながら、30数年生きてきた。きっと、これからも沢山、誰かの愛情や優しさを貰いながら生活していく。時には私も、自分がもらってきたものと同じようなものを、他の誰かに手渡せる人間になりたい。
先生と話すと、いつもそんなことを考える。
そして、あの時と違う立場で『先生』と交流できるのは、大人になった特権だ。
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