「承認欲求」を持っている者同士がすれ違ったときの「気づき」
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今日はこの"梨女"さんの記事を読んで僕も少し考えて、そして話してみようと思う。
とはいえ、同じようなことを語っても非常につまらないしここで貼った記事が読まれないことも不本意なので『読書感想文』のようにしてみることにする。
タイトルは『承認欲求モンスター』が『承認欲求について考えている人』を見てどう思ったか、にでもしようか。
アイアム承認欲求モンスター
まず前提として僕は承認欲求を人並み以上に持っている。
noteで記事は投稿する。フォロバ企画にも参加してみたり、リストからフォローしてみたり。コメントもすればスキも押す。なんとなくフォロー返されたらいいなと埋め込みしたりもする。
こんなやつを『承認欲求モンスター』と言わないわけがない。
もちろん100%承認欲求だけでその行動をしているわけではないが、そう呼ぶ要素としては充分だ。
noteに限定したが趣味である『音ゲー』でもそう。
少し無理矢理ではあるがプレイしている理由の30%くらいは「他人にほめられたい」からだ。
そんな僕の読書感想文だと思ってくれ。
努力の跡
まず記事のテーマに沿いながら読んだときにふと出た感想が、「文章から努力の跡が感じられる」ことだった。努力とは行動だけではない。
考えることも努力と表現してさしつかえない。
単純に「結論もいいな」と思ったのだが、そこに行きつくまでの思考や葛藤のようなものがしっかりと書かれていた。もっと簡単に表現するなら「リアル」だった。
この考える・表現する努力を感じられたというわけだ。
「わかる」という共感だけだったらおそらくこんな記事にはしていないなと思う。
白鳥の人たち
数回読んでから少しタイトルを疑問に思った。
・努力を認めてほしい
・努力を見せたくない
この2つは本当に矛盾しているのだろうか。
「努力を見せたくない」という人間は一定数いるし、その人たちが人並み以下の承認欲求だとも思わない。僕はこのタイプの人たちについて考えてみたときに「白鳥」と表現するのが良いと思った。
優雅に泳ぐ白鳥も水面下では激しく足を動かしている
こんな話を聞いたことを1度くらいはあるだろう。
「努力を認めてほしい」というのは承認欲求の派生。
「ほめられたい」よりも一段だけ上位かな。
僕の意見としては別に矛盾はしていないと思う。
ただそれは言葉をそのまま受け取った場合に限る。
文章をくりかえし読んでどんな気持ちで書いていたのかを考えていたら、タイトル通り「矛盾している」ということに気づいた。
白鳥はわかってほしい
せっかく白鳥に例えたのでもう少しそのまま進めよう。
「きれいですね!」とある人が言いました。
白鳥は思います。
「うるせー!そういうこと言われたいんじゃないんじゃ!!」
「こっちはそう思われるために必死でがんばってんねん!!」
みたいに考えると結構しっくりきました。
そして同時に白鳥は思います。
「この努力を含めてほめてほしい。けれどそれは自分がそれを隠しているから悪いんだ」
そう考えているなら、確かに2つは間違いなく矛盾だ。
この悩みを解消するために行きついた答えが書かれていて記事は終わっている。とても心揺さぶられた文章でした。
ここまで語ったことが正解かはわからない。しかしこの矛盾の気づきは初めてであり考え方の財産だと思っています。
こんな感じで読書感想文は終わろうと思う。
▼今回のフォトギャラリー
検索ワード:白鳥
クリエイター: 北川 萌子さん
ありがとうございます。
↑ここまで本文
さてここからは僕がどうやって承認欲求を満たしているかということを、趣味である「音ゲー」とその環境から話そうと思う。
良いの最上級の表現として使ってどうぞ