ローストビーフに愛を添えて
歴代の恋人たちは、もれなくわたしにローストビーフを作らされている。
お金と手間をかけてもらえることこそ愛だと、幼かったあの頃は信じ込んでいた。
初めて口にしたのは、いつかのクリスマスだった。いつもは茶色い和食ばかりが並ぶ食卓に現れた、一際ピンク色に光る美しい食べもの。艶やかなソースがかかれば、酸味と濃厚な旨み。「うんまぁ!」と思わず言葉に出して、祖母に怒られたことまで鮮明に思い出せる。一口食べれば、田んぼに囲まれた日本家屋はもう外国のお城。ハーブをふんだんに纏ったお肉は、森から現れたかのよう。みりんや醤油ではない、畳の香りがしない味。「ローストビーフをお腹いっぱい食べられますように」と、昨日までの願い事をすべて忘れたクリスマス。さぞサンタさんも困ったことだろう。もちろん靴下の中にローストビーフは入っていなかった。
そのクリスマスから、わたしにとってローストビーフは特別なものになった。ティファニーやカルティエに憧れるのと同じように、わたしはローストビーフに憧れた。
そんな色気より食い気、で育ったわたしにも恋人ができた。長年の夢を叶えるべく、わたしがクリスマスプレゼントにねだったのは指輪でもネックレスでもなく、ローストビーフ。満面の笑みでねだったわたしを、恋人たちは「遠慮して可愛い」などと思っていたらしい。まさか別れるまで毎年作らされるハメになるとも知らずに。
ローストビーフ、と一言で言えど、さまざまな作り方がある。歴代の恋人たちは、みな違う方法でわたしにローストビーフを食べさせてくれた。
最初の恋人は、炊飯器で炊くタイプ。袋に入れてストローで空気を抜いて、炊飯器へ。大麻柄の洋服が好きだった彼の、並々ならぬハーブへのこだわりには怯えたが。火をきちんと通すことを心がけすぎて、たまにチャーシューになるのはご愛嬌。彼は才能がある人だったけれど、安定を求めて就職した。火を通しすぎると、情熱もまた失われてしまうのだ、と気付いた春だった。
2番めの恋人は、クリスマス前に付き合って、正月を迎えた頃に別れた。ヤリモク、という言葉があるが、ローストビーフモク、で付き合ったと言っても過言ではない。年下の男の子だった彼の初めてを、奪うだけ奪って別れた。今思えば、ずいぶんひどい女だ。あのローストビーフは今までで一番、バルサミコの効いた甘酸っぱい味がした。
3番めの恋人は、異様にローストビーフを作るのがうまかった。周りを十分熱した後、アルミホイルで包み余熱を通して出来上がり。その手際の良さと、見事な色加減にわたしは密かに感動した。この人と一緒なら毎日がクリスマスだと信じ込んだわたしは、彼と結婚した。
最初はほんとうに毎日が記念日だった。けれど、毎日ローストビーフが出てこないのと同じように、毎日幸せというわけにはいかない。名前のつかない日々には、名前のつかない料理たち。小さな頃はあんなに嫌だったみりんと醤油の香りを、いかに漂わせるかに奮闘した。
後から調べると、ローストビーフを余熱で作るのは危険らしい。中心温度が上がりきらず、食中毒の危険があります!と書かれた記事を流し読みしながら、わたしたちの愛の温度も低かった、と思う。恋の余熱では、結婚生活は送れない。じっくりゆっくり、あたためつづける辛抱強さと忍耐がきっと必要だったのだ。残ったのは、冷えた料理と冷めきった「我が家」。そうして短い結婚生活は、終焉を迎えた。
28歳春、出戻り娘になった。実家に帰ってくると、懐かしい畳の香り。台所からは、みりんと醤油の香りがめいいっぱいする。その晩食べた肉じゃがは、愛の味がした。
今では家族6人、大家族の夕飯づくりを任されている。わたしは一人っ子なので、我が家はまるでグループホーム。父がふざけてわたしを「施設長!」と呼ぶのを聞きながら、入居者の味覚に合わせてみりんと醤油で味付けをする。たまにSNSで見つけた美味しそうな料理を作ると「ハイカラだ!」とご老人たちはぶーぶー文句を言う。呆れながらも、そんなに元気ならずいぶん長生きしそうだと、一人嬉しくなっているのは秘密にしておこう。
毎日決まった時間に,いかに時間をかけず安く済ますかを考えて料理をするのは面倒だ。でもぶっきらぼうなおじいちゃんの「まあまあや」や、おばあちゃんの「味ええねえ」を想像すれば、自然と腕に力が入る。肉じゃがに感じた愛の正体はこれだったのだと、わたしの胸はいっぱいになる。夕方6時の鐘が、静かに響き渡ってゆく。
クリスマスが来れば、ローストビーフを振る舞おう。恋人たちの叡智が詰まった、わたしだけのレシピで。わたしの甘酸っぱい恋も苦い失敗も、歴史を丸ごと全部スパイスにして塗りこもう。そんなことをたくらみながら、今日もわたしは大鍋をぐるぐるかき混ぜる。