自分の文章を読み返す
皆さんは自分のnoteや文章を読み返すことはありますか?
僕は、ある。
なんだか暇な時、手持ち無沙汰な時、
noteやインスタ、メモアプリに保存した文章を読み返す。
書いてから時間が経っているからか、まるで他人が書いたかのように感じる文章もあれば、そういえばこういうことも書いたな〜と思い出せる文章もあって、懐かしいし恥ずかしい。
何よりもびっくりすることは、読み返した文章に自分が励まされたり、自分が共感したり、自分が面白がっていることだ。
自分で書いた文章のはずなのに。
僕は、言葉をまとめるのが苦手だ。
つまり、文章を書くのが苦手だということだ。
noteやインスタグラムは、その苦手なことを克服ためにやっていると言っても過言ではない。
自分の中にある「分からない」感情や気持ちや考えを、言葉にすることに挑戦している。
そんな僕だから、いつも文章を書き上げたときは、情けない気持ちになる。
「今日もうまく書けなかったな〜」って。
なのに、自分の文章を読み返して、自分の文章に自分で共感したり励まされたりする自分がいて、驚く。
自分が書いた文章なんだから、共感するのは当たり前なのかもしれないけれど、ここから感じたのは「ああ、あの文章を書いた時とは、別人になっているんだ」ということ。
いやはや、本当に別人になってるわけではないですよ?
けど、たった1日前の文章でも、他人が書いたかのように読めるというのは、もはやそれを書いた時にいたはずの「自分」とは少し違っているということなんだと思う。
それは成長というか、変化というか。
文章は、その時々の思考や感情を保存し表現するものだったんだって気付かされた。
まるでカメラでその情景を写真におさめるみたいに。
ほんで、何より。
自分が書いた文章を、自分が楽しめるって、1番大切なことな気がするんですよ。
自分の文章を読む最初の読者は、きっと自分。
そしてまた、その文章に還ってくる人も、きっと自分。
自分が楽しめる文章を書く、自分が読みたいものを書く、これって大切なことだなあ。
こんなこと書いたっけ?
なんだか恥ずかしい。
意味ぜんぜん通ってないやん。
けど、めっちゃええこと言っとる。
自分の文章から感じることは、なんでもいい。
けど、その文章を書いた時にいたはずの自分を受け入れる、肯定する。
だから、たまに読み返す。
これ、結構いいですよ。
それでは、また。