しんでいたかもしれない話
親が突然オストメイトになった。
去年の初夏のとある昼過ぎだった。
体調が悪い気がすると言い出した。おなかが張るとか苦しいような・・・とか。でも花壇に水やりをしたりお風呂に入ったり夕飯を食べたりしたので深刻にとらえてはいなかった。
「体調が悪い気がする」「治った」などと言うことが度々あり、今回もそうなのかなって。
でも気づいたら、夕食のあとドラマを見ていたはずの親が、テレビを消して仰向けに寝ていた。ドラマを何よりも楽しみにしているのに。
その様子を見た私の体の下のほうから、嫌な感触が這い上がってきた。激痛を訴えてはいないけれど、おかしいのではないか。吐いたと言われ、不安が増した。救急車を呼ぶかと聞いても、そこまでではないようなと言う。でもやはりおかしい。
病院に行こうと促し準備を始めた。救急車は本当に必要ないのかとまた聞いたけれど、回答は同じだった。
運転しながら聞いても同じ答えしか返ってこない。
「そんなに痛くはない」
「おなかが張っている」
「吐き気はおさまった」
「時々痛い。けどそこまでではない」
後で考えたけど、そこまでって一体どこまでの痛みの話をしていたのだろう。さっぱりわからない。
診察してもらうまでは、帰宅は何時になるかなとか、楽しみにしていたドラマ見られなかったのだから後で検索して内容教えてあげようとか、帰りにコンビニでジュースでも買ってあげようかとか、そんなことしか考えていなかったと思う。
呼ばれて診察台に寝て医師におなかを見せたら、私でもわかるくらい親のおなかが膨れていた。場所を変えながらおなかを押して「腸に穴があいているかもしれない」と言う医師。検査してからじゃないと詳しくはわからないと告げられたけれど、何を言われているのかまったくわからなかった。
動揺していて時系列は覚えていない。言われた内容も、細部は違っていると思う。
死ぬかもしれない可能性を突きつけられて、親の身に起きたことを現実と考えられなかったのだ。何を聞かされているのだろうって。わけのわからない質問をしたくなったけど言葉にならなかった。
検査の結果、便秘が原因の硬い便によって腸が破れてしまったので手術をしなければならないという話をされた。手術をしなければ死ぬ確率がとても高いし、手術をしても助からないかもしれないって。
説明を受け、診察室の外で待つ間、放心状態だった気がする。検査結果や手術に関しての話がいまとなっては曖昧で、どの段階でされたか思い出せなくなってしまっている。
他者に連絡が必要であると言われなかったこともあり、夜中なので誰にも連絡せず、廊下の長椅子に座り一人でぐるぐる考えていた。体感としてはとても長かった。
便秘が原因?
こんなことになる?
嘘でしょ。
ふだんから消化器内科にも通院していたのに。
どうしてこんな事態になっているのか。
あの病院で何を診てもらっていたのだ。
便秘だと病院でも言っていたはずなのに。
なぜ。
答えの出ない問いがぐるぐると頭の中を回っていた。
結局、破れた場所のおかげで緊急手術とはならず、薬を投与して一度様子を見るということになった。
深夜に入院手続きをし、一人で帰宅した。
消灯後の暗くてしんとしたロビーが怖かった。
「もっと早く来ていたら結果は違いましたか」と質問した私に、医師の「それは違う」が返ってきて、その言葉は帰宅後から親が退院するまでの私のささやかな支えになった。違うことの根拠は説明されたけど、自分がうまくここで説明できない。
手術まで至らないかもしれないと担当医師に言われたが、翌日入院準備をしている私に電話がかかってきて、やはり手術することになったと告げられた。少し期待していたので声に落胆が滲んだのだろう。電話の相手に何かを言われ、ありがとうと答えた。それしか覚えていない。
妹とともに説明を聞いた。
死亡リスクも前日に聞いた通り。
戻ってこないかもしれない想像を頭から追い払い、手術に向かう親を送り出した。
妹と病気以外の話をして待った。
終了予定時間を過ぎても戻らない。
悪い想像はどうでもいい話をして上書きした。
手術が終わり、担当医師の説明を受ける部屋に案内された。机の上の容器に何か乗っていた。切除した部位ではないかと予想したらやはりそうだった。
便がほぼ石などと言われた。
便秘だけど、ちょっとずつ出ていると言っていたじゃないか。嘘か?いや違う。たぶんあれだ。ちょっとは出ているから大丈夫と思い込みたかったのではないだろうか。
便秘つらかったと思うよと医師に言われ、普段もっと話を聞いておくべきだったと後悔した。
でも、生還した。人工肛門をどう考えているか術後に会ったときは聞けなかったけど、毎日便が出るので本人的にはとても良いらしい。大変さはもちろんあるけれど。あと、パウチの交換は私がするので、申し訳ないといつも言う。
本音を言えば、1ヶ月に1回くらい嫌になる時がある。2回かも。
漏れると予定が変わるし、もう少しパウチが耐えてほしかったなとがっかりしてしまう時があるから。でも生きているし。
私も生きているし。
誰にも言っていないけど、去年親が入院している間、何回か強烈な希死念慮に襲われた。
『いまならこの家にだれもいない』
『わたし一人』
あのとき猫がいなかったら本当にひとりだった。地域猫みたいな感覚で世話をしていたけれど、生かされていたのは私のほうだったのかもしれない。
オストメイトとして生還した親に何ができるのか。介助や家事はしているけど、なんとか社会復帰しなければ。介助しながら何ができるのだろう。メンタル病まずに生きられるかな。
焦るけど。
大丈夫。大丈夫。そう繰り返して今日を生きる。昨日もそうしたし。明日もそうする。
大丈夫。きっと良いことがあるよ。
誰かを励ますみたいにして自分に言っている。
もし、この長くて散らかった文章をここまで読んでくれた方がいたなら。あなたにも良いことがありますように。今日も明日もこの先もずっと。