母のお部屋取材参観
「はじめまして、ようこそ。」
玄関ドアが開いて、普通の会話なのに違和感を覚える。
「あれ、こんな感じの方だったけ?」確かに、SNSでは顔までは見ていなかったけれど・・・
と思ったのも束の間、後ろから少し申し訳なさそうにもう一人。
この住まいの家主、最初に出てきたのは母親だった。
体感は年に1〜2度程度なのだが、取材時に母親が同席することがある。
(不思議と父親のケースはまだない。パートナーはよくある。)
こちらとして何か焦ったり、困ったりすることはほとんどない。
なぜなら気持ちはお子さんがいる家族の住まいに伺うことと何ら変わりがないからである。
また親やパートナーが同席したいという気持ちはよくわかる。
今でこそ、SNSを見てたくさんのお部屋に伺っていることから何の情報もない人と比べると
安心感はあると自負しているが、それでも他人が家に来るのなんて親やパートナーからしたら不安は尽きないだろう。
そして家主が少し気まずそうな気持ちも同じくらいわかる。
ただでさえ初めての人が来て緊張するのに、それを身近な人にも見られるなんて。
私が同じ立場なら可能な限り避けたい。笑
いざ取材がはじまると、その後は流れで進んでいくので私自身には変わりはないが
二人の話し声に少し微笑ましくなる。
「ここの掃除はちゃんとやってるの?」「ご飯は家で作ってる?」「これいいわね、どこで買ったの?」
実家に帰った時のような会話でありながら、さながらもう一つの取材が進行している。
さらに家主も入ってもらっての撮影では
「表情が固いわよ!」「もっと元気良く!」「あぁ可愛い(かっこいい)じゃない!」
ともう一人の監督から指示が飛ぶ。家主は少し恥ずかしそうだったり、静かにしてよと突っ込んだり、なんだか不思議と授業参観の教師のような気持ちだ。
ただ、いつも印象的なのはそんな掛け合いではなかったりする。言葉ではなく、とりわけ家主(自身の子ども)を見守る表情だ。
取材中や撮影の合間で、お部屋のことについて自分の子どもが私に話しているのを見て
成長を感じ、どこか誇らしげな表情が微笑ましい。
部屋が家主の作品だと私自身が思っているからこそ、家族もまたその空間や過程を知ることで、変化を感じることが多いのではと勝手に解釈している。
私自身は先に話したことからお察しの通り、家族への報告が昔から苦手だ。
だからこそ、家を出てからはSNSが絵葉書のようになっている。
「どこに行った」とか「どんな仕事をしている」とか自分で話すより先に母親は知っていることが多く。最近では母の友人がフォローしてくれているおかげでその情報網はより抜めない。
時々、伝えているつもりがなさすぎて「はっ」とすることもあるが、翌日には見られていることなんか忘れてしまっている私も私で。情報制限することに気を配るより、諸々わかったほうが安心感もあるかと思って一方的な絵葉書の送付は今日も続いている。
母もこんな自分のことを知ってか知らずか(きっと分かっている)、反応は「いつも見てるよ」くらいのもので変に掘り下げたり、弄ったりすることもない。
いくつになっても母は偉大だ。家族のつながりを取材撮影の中で感じるとき、私自身もまた家族のことを背に感じながらシャッターに想いをのせている。