エゴと贖罪。 ~ 舞台 太鼓たたいて笛ふいて ~
大竹しのぶさんの舞台は抑えたいチケットです、ええ、そうですとも!(ダレ?)。
初めて足を運ぶ紀伊国屋サザンシアターへ張り切って出掛けました。
ここからはネタバレを伴う感想を書きます。
これから観劇予定の方は後日お読み頂けましたら幸いです!
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時代は大東亜戦争(太平洋戦争)の最中。
面白可笑しい自伝的小説の「放浪記」で大ヒット作家となった林芙美子こと大竹しのぶさんは、読み書きは出来ないけどクチは達者な母のキクこと高田聖子さんと東京で二人暮らしをしています。
そこには「放浪記」の大ヒットに乗じて流行曲の作詞をして貰おうと、音楽会社の三木孝こと福井晶一さんが依頼している詩の出来上がりを、今か今かと林家の居間に居座わります。
そんなことはすっとばして、芙美子は思いつくままあれやこれやの小説を書き上げますが、門外漢の作詞には筆が進まず。
ある日、その林家にキクが尾道で行商をしていた頃に可愛がっていた、悪い意味で臨機応変な加賀四郎こと土屋佑壱さんと、お人好しの土沢時男こと近藤公園さんが転がり込んで来ます。
バタバタしつつのんびり過ごしていた林家に、共産主義の思想を持ちつつ戦争孤児のための居場所を運営している島崎こま子こと天野はなさんが訪ねて来ます。滞納している孤児のための家の家賃90円に当てるため、自作の詩を買って欲しいとやってきたのです。
割と良い出来の詩であるため、三木は50銭で買ってやり面倒事に巻き込まれないようにこま子を早々に追い出そうとします。
しかしこま子から出た身の上話に心を動かされる芙美子とキク。こま子は一大スキャンダルとなった島崎藤村の姪であると判明し、更に藤村の直筆の原稿を持っており、自作の詩がダメならこの原稿を・・とすがられます。そんなこま子にほだされ、キクは「原稿を預かってあげる手打ち金」として90円を差し出します。
結局、芙美子は作詞が出来ず、三木がテキトーに「放浪記」から抜粋した文章で作詞をし売り出すことになりました(かなりいい加減で全く共感を呼ばないおかしな歌詞)。ついでにこま子の作詞の歌も売り出しました。
どんどん戦況が悪くなるにつれて、面白可笑しい芙美子の小説は時代にそぐわないと判断され発禁処分を食らい、三木のテキトーに作った歌は当たり前に鳴かず飛ばずで、ついでにこま子の詩も売れず。「放浪記」ネタも底を尽き始めて落ち着かない気持ちの芙美子へ、三木は「戦争は儲かるよ、従軍記者として戦地を巡って記事を書くと良いよ」とけしかけます。そして芙美子は内閣情報部と陸軍部から派遣される形で、戦争を盛り上げる記事を書きまくります。太鼓をたたいて笛を吹くように国民へ喧伝したのです。
その間に四郎は日本国内より待遇の良い中国の大連でちゃっかり憲兵となり、時男は行商で向かった岩手で農家の娘に見初められ婿養子となり、三木も体よく軍の広報的な仕事にありついていたのでした。キクはこま子に書道を習いながら日に3文字ずつ漢字を覚える日々。
シンガポールやジャワ、ボルネオと従軍した芙美子は帰国すると、突然赤ちゃんを養子に貰い受けてキクと一緒に三人で東北へ引っ込んでしまい、世間に全く文章を発表しなくなりました。
久しく連絡を取っていなかった三木と四郎の耳へ、芙美子が東北の地の講演で戦況が厳しくなりつつある状況下で「日本は戦争で潔く負けるべきだ」と語ったと入り、芙美子の身を案じて東北へ駆けつけます。
三木はまたもちゃっかり日本放送協会へ転職し、四郎もちゃっかり日本国内で警察官になっており、場合によっては芙美子を「取り締まる側」となりますが、そこは昔の恩義でどうにか上手く切り抜ける術を絞り出して馳せ参じたのでした。
講演内容を詫びて日本軍部にへつらうような内容をラジオ放送で話せと迫る二人に、芙美子は戦地で見た惨状を語ります。この戦は国土拡大を大義名分にしたの東アジア侵略であり、その暴挙で「戦死したら神になれる」と駆り立てられた兵士は戦地で犬死するか傷痍軍人となり、国内では残された家族が悲惨な生活を送り、戦争未亡人は身体を売らざるを得ないこともあり、戦争孤児は身を寄せる当て所も無く彷徨っている。私はこんな不幸な出来事へ「太鼓たたいて笛をふく」ように加担してしまった!!と。
三人が押し問答をする中、「こんなものを読むなら字なんか読めるようになるんじゃなかった」と嘆くキク。キクの元へ岩手の農家から「死んで神になった時男」の死亡公報が届いたのです。
しばしの後、終戦を迎えた日本。
芙美子とキクは元の東京の下落合に家を建て、こま子は孤児の家を再建すべく、書を売りお金を貯めるために奔走しています。
あの講演の後、お詫びをしなかった芙美子は終戦まで週に2回も特高警察が家に押しかけて来た。たらふく酒を飲ませないと帰らなかったとプリプリ思い出し怒りをしています。
芙美子は自分の行った「太鼓たたいて笛をふく」行為の贖罪であるかのように、傷痍軍人や戦争未亡人、戦争孤児の話を小説にしてはあらゆる媒体で発表しまくります。
そこへ新宿の赤線を取り締まる刑事へ"華麗"に転身した四郎が、取り締まり中に見つけた薄汚れた男を芙美子の下へ連れて来ます。「死んで神になった」はずの時男でした。
戦地のどさくさで誤報の「死亡広報」が岩手の農家に届いたのですが、そんなことは露知らず、届いた一年後に嫁は再婚し子どもが出来ていたと知ります。時男の生存を知った嫁の父が訪ねて来て「今更戻られても娘には今の旦那との間に子どもも出来てしまった。すまないが死んだことにして戻ってこないで欲しい」と土下座されたと泣き笑いしながら時男は話し、「この話を(面白おかしく)小説にして欲しい」と芙美子に懇願します。
芙美子はもちろん快諾し、しばらく家で養生しなさいと時男に語りかけます。
芙美子は自分を追い込むように仕事を続け、47歳の若さで心臓まひで急逝します。その訃報はラジオ放送で「あけすけな内容の『放浪記』で華々しく文壇デビューを飾り、その後も四カ月だけ旅したパリの紀行文を発表、軍の広報のような従軍記事を書くなど顰蹙を買うことが多々あったが、戦後は戦争による国民の痛みを書き綴り寄り添い続けた晩年でした。」と流れ、三木が「これは私が書かせて欲しいと局に頼んで放送したんです」と語ります。キクは「珍しく良いことをしたな。」と笑い、「放浪記を読んだけど、わたしをこんなに面白おかしく書いていたなんて知らなんだ。」と、お骨になった芙美子へキクは語りかけるのでした。
戦中・戦後の過酷な環境下を走り抜けた林芙美子さんの一生の舞台。
自分が上手くあらすじを書けているのか心許ないのですが、取り巻く状況や環境に翻弄され、時に順応しないといけなかった苦悩と悲哀を感じました。
軍の喧伝活動の片棒を担ぎ、国民を不幸に追い込んだ自分は死ぬべきと思いながら、死ぬに死ねず。これからは戦争の本当の顔を世間に知って貰うべく自分を生き永らえさせるために、赤ちゃんを貰って責任を持って育てる道を選んだ芙美子さんの壮絶な思い。
というと、舞台はひたすら暗く重々しいと思われますが、ここは音楽劇の側面があり、こま子さん作詞の歌は暗い世相の中でも明るく頑張る内容ですし、三木の作ったテキトーな歌詞は本当にテキトーで作詞の才能の無さが際立つしょうもなさ(笑)
大竹さんの芙美子の乗り移り具合はいつもの如く素晴らしく、更に高田さんのとぼけたバアサン具合がたまらなく、逼迫した戦時の中でも笑わせて貰えました。
三木のずる賢さや、四郎の身代わりの素早さ、時男のお人好し過ぎる泣き笑い、共産思想があり周りの協力が中々得られない中、孤児のためにひたすら奔走するひたむき加減を熱く、時にひょうひょうと動くこま子たちの生き方も、それぞれに共感できると思います。
9月くらいに読み終わって読書感想文を書こうと思いつつ、内容が内容だけに中々書けない本があるのですが、今回の舞台を観劇して、やっとこさ書く気になれました。
日本の法律が変わり、少しずつ「戦争の出来る国」になりつつあると言われています。
反して、戦争体験者の方々は絶対に戦争をやってはいけないと、話したくない辛い思い出の戦争体験を語り続けておられます。
戦死した方には本人や遺族の方へ恩給が下りていますが、空襲で無くなった民間人は「兵隊じゃない」という理由で何も手当てされずに今に至っています。
同じ理由で南国の地で戦死された方の遺骨の帰国は進められているようですが、民間人の方の遺骨が埋まっていると分かっている土を、沖縄辺野古移転基地の埋め立ての土として使おうとしたというニュースも目にして、日本上層部の考え方って変わらないんだなっと思わされる次第です。
放浪記は森光子さんがでんぐり返しをする、それと公演回数最長記録くらいしか知りませんでしたし、林芙美子さんの本も読んだことはありませんでした。
舞台を観劇しまして、改めて代表作となっている本は読んでみようと思いました。
戦争が始まると容易に終わないということは、現在進行形で見せられています。急に戦地に送られない、あらゆる出来事に制限が掛かる生活を迫られない、日々の生活に安心も安全もあることが「平和=日常」であるべきだと思います。
平和ボケ上等であるとも思います。
ただ、それは「平和=日常」あってこそ。
"お得"な情報や楽なことに踊らされない強さや意志が大事だと思います。
重い題材ですが、いま見るべき舞台だと思います。
大丈夫です、演者さんの素晴らしい演技に引き込まれて、笑って泣かされますし、生ピアノの朴さんのプティ出演にも「プププっ」となります。
まだまだ上演日数がありますので、当日券など取れそうでしたらぜひ足をお運び下さい!