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【おすすめの書】キリスト教は邪教です!の重要ポイント⑤
ニーチェは130年も前に私たちに
キリスト教のヤバさを伝えてくれていました。
私たちはニーチェが警鐘を鳴らしてくれていることに
全くと言っていいほど気付くことができず、
支配者や走狗などに騙され続けてきました。
キリスト教は一神教で最終的に戦争に辿り着いてしまう
危険極まりない害悪な宗教です。
この本はある程度、キリスト教のヤバさを知っていただくために
読んでいただきたい一冊です。
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真理と「真理であるという信仰」
キリスト教に比べたら、仏教は100倍も誠実で客観的な宗教です。
仏教では、苦しみを罪の結果と考える必要はありません。
なぜなら、仏教では正直に「私は苦しい」と言うからです。
しかし、野蛮人は自分が苦しんでいる事実を認めたくないので、
理由づけを必要とする。けれど、それによって結果的には、
ひそかに苦に耐えることになってしまうのです。
「悪魔」という言葉は、彼らにとって都合のいい言葉でした。
なぜなら、「悪魔のような恐ろしくて強い敵のせいで苦しんでいるのなら、特にそれを恥ずかしいと感じる必要がない」と言い訳ができるからです。
実はキリスト教は、もともと東洋にあった考え方を利用しています。
それは、「あるものが真理であるかどうか」はどうでもいいことであって、「真理であると信じられていること」が重要だということです。
「真理」と「真理であると信じられていること」は、まったく別です。
ほとんど正反対であると言ってもいいでしょう。
東洋の賢者たちは、これをきちんと理解していました。
バラモン教徒も秘教や密教を身につけた人たちも、皆がそうです。
あのプラトンだってそうなんですよ。
たとえば、「幸福は罪から救われたと信じることにある」のだとしたら、
その前提となるのは、「人間に罪がある」ことではなく、
「人間が自分に罪があると感じる」ことです。
つまり、キリスト教においては「信じる」ことが大切なのです。
キリスト教における真理とは、観察や研究によって
発見するものであってはなりません。
要するに、真理への道は閉ざされているのですね。
キリスト教は「希望」というものを上手に使います。
苦しんでいる人たちに対して、簡単に満たされて
用済みになってしまわないような「希望」を、
彼らの手の届かないところにわざと置く。
そうやって人を釣るわけです。
また、キリスト教は人気を集めるための「工夫」をたくさんしました。
「神の愛」というくらいだから、
神は人間のような姿をしていたほうがいい。
庶民の人気を得るためには神は若者にしたほうがいい。
女性を熱中させるために、美しい聖者を登場させよう。
男性を熱中させるために聖母マリアを前面に押し出そう、などなど。
しかし、こういったバカバカしいヨタ話が
ヨーロッパで受け入れられてしまったのは、いったいなぜなのでしょうか。
やはりヨーロッパは、ギリシア神話の美の女神であるアフロディテや、
彼女に愛された美少年アドニスに対する礼拝があるような地域だからなのでしょう。
いずれにせよ。こういった「工夫」によって、キリスト教の礼拝は、
ますます熱狂的になっていきました。
彼らは「愛」を利用しました。
「愛」とは、ものごとをありのままに見ない状態だからです。
人間はそこで夢やまぼろしを見ます。
また、「愛」は人間に我慢することを教えます。
それで、キリスト教は人々に愛されるような物語をでっちあげたわけです。
キリスト教が「信仰」「愛」「希望」というキーワードを利用したのは、
ある意味では賢かったのです。それによって、上手に人をダマせたわけですから。
仏教がこういう方法を使わないのは、
ものごとを現実的にきちんと考えるテクニックを持っているからです。
重要なフレーズが出てきましたね。
”自分は苦しんでいる事実を認めたくない”
この考え根底にあると自己受容・他者受容できないのです。
そしてこの考え方が自己肯定感(インチキ自己肯定)
とかポジティブシンキングへと繋がってしまうのです。
「神の愛」の波動も邪気になっていますね。
執着とか束縛とか支配の邪気になってしまっています。
欧米の影響を受けた人が書いた音楽の詩に
愛という言葉が多用されていますが、
下手に歌詞に情を入れてしまったら、
認識や思考パターンに悪神が入り、
認識や思考にも悪影響が出てしまいます。
それから、”信じる”というフレーズが出てきましたね。
これは邪気発生源になっていますが、
キリスト教でヤバい使われ方をされていたので、
邪気発生源になって当然ですね。
”言葉が人を作る”という名言がありますが、
”言葉が壊れた人を作る”と認識した方がいいと思います。
世の中、壊れた人間ばかりです。
※キリスト教は自己受容・他者受容から大きく乖離していて、
カニバリズム(人肉嗜食)に繋がってしまう邪教です。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。