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黒猫のミリー【vol.3:桜並木のある住宅街】

白猫の名前は「ソラ」。
ソラは、桜並木のある住宅街で、老夫婦の住む広い家に迎え入れられた。

ソラは、いつもニコニコしているお父さんが大好きだった。段ボールのトンネルを作ってもらったり、夕飯のおかずのお刺身を少し分けてもらったり。日曜の昼下がりにはよく、読書中のお父さんの膝でお昼寝をした。

お父さんの、優しくゆったり話してくれるところが好きだった。

ソラがいると落ち着くなぁ。
ソラは僕たちの最後の子供だ。うんと長生きしてくれよな。

早起きのお父さんは、よく2階のベランダから朝陽で染まる空を眺めていた。

ご覧よ、ソラ。
あたたかくてきれいだね。僕は信じてるんだ。この世を去ってしまった人達は、いつか必ず自然にかえっていく。だから僕達は、朝陽や夕焼けに、包みこまれるような懐かしさを覚えるんだよ。彼らからの、ここにいるよ見守っているよ、というメッセージなんだ。だからソラ、もし僕が死んだら空を見上げるんだよ。必ず会えるからね。

その時の、お父さんの優しい眼差しは、ソラの心のなかに残り続けている。

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ソラが3歳くらいのころ、お母さんの様子が少しずつおかしくなっていった。何度も"ご飯を炊いて食べる"を繰り返す。夕方になると決まって娘さんと息子さんの名前を大声で呼んで、不安そうに家の中を探し回っていた。2人とももう家を出て家庭を持っている。お母さんの頭の中で、2人は小さな子供に戻ってしまったらしい。

最初はお父さんが面倒をみていたけれど、やがて近所に住む娘さんが、週に3-4日来て、お母さんのお世話をするようになった。「足を引っ張ってごめんなぁ」とお父さんはしきりに娘さんに謝っていた。

娘さんはとても気丈に明るく振る舞っていた。でも彼女の瞳には、たまに深い悲しみが堪えきれず浮かび上がり、涙が頬を伝う。娘さんはそれを素早く拭うと、また忙しく働き始めた。

ある日、お父さんがひどい熱と咳に苦しみ始めた。町内会のカラオケでコロナに感染してしまったという。症状はみるみる悪くなり、救急車で運ばれて、それっきり帰ってこなかった。お母さんも娘さんも、最期はガラス越しのお別れだったらしい。お父さんは骨になって、ようやく家に戻ってきた。

もう4年も前の話だ。

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ソラはいつだってお父さんに守られていた。幸せな日がずっと続くと錯覚していた。でも幸せな日が永遠に続くんじゃない、幸せな記憶が永遠に残るんだ。分かっていたはずなのに、終わった時の想像なんて一度もしなかった。

お父さんがいなくなって、お母さんの症状はどんどんひどくなっていった。ご飯の炊き方が分からなくなり、娘さんの持ってきてくれた作り置きのご飯を食べるようになった。夕方になると子供達を探して、外に飛び出したまま、戻ってこない夜もあった。

ある朝、娘さんが大きなスーツケースを持って来て、お母さんの洋服やパジャマを詰め込んで、お母さんと一緒にタクシーに乗り込んだ。介護施設という場所に行くらしい。そこにはお母さんと同じ病気の人もいて、朝から晩までプロの人達が助けてくれるから安全なんだって。

お母さんはずっとぼんやりしていたけれど、家を離れる前日に一度だけ泣きくずれた。お母さんはたまに自分の意識を取り戻す。それが幸せなことか不幸せなことなのか、誰にも分からない。

ソラは混乱した。娘さんの家へ引き取られることになっていたけれど、ノラ猫になって、一人で生きていくことに決めた。

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気が付くと、頬を撫でる風が秋めいている。ミリーはその心地よさに目を細めた。と同時に、ほんの少しの寂しさが胸をかすめる。この矛盾した気持ちは何だろう。ミリーはそんなモヤモヤを抱えながら、爽やかな風の中を走り続けた。

そういえば、この前白猫が覗き込んでいたあの家はなんだろう。彼の家だったのだろうか。気になって見に行くと、その古い家はグリーンのビニールシートで覆われていた。作業服を着たおじさん達が集まっていて、黄色いショベルカーが動き出した。

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