黒猫のミリー【最終話:探していたもの】
何日も彷徨い歩き、ミリーはようやく気づいた。探し求めていたものは、自宅の庭にあった紅葉だった。
ダイニングテーブルから見ることのできる紅葉。家事や書類作業がひと段落したとき、窓の外を眺めて、その姿を愛でるのが楽しみだった。子供が小さかった怒涛の日々、思春期で口論の絶えなかった日々、やがて成人し巣立っていったあの日。これからは夫婦で過ごす時間を楽しもうと話していた矢先、夫に難治性の病が見つかり、帰らぬ人となったその時も。
家からは誰もいなくなったけれど、紅葉だけは変わらずそこにいた。
悲しい時も嬉しい時も、優しく風に揺られて、いつも見守っていてくれた。
母親としての務めを立派に果たせてる。これでいいんだよ。紅葉がそう言ってくれているように感じた。
私達の家で一緒に暮らさない?
二人の娘がそう言ってくれたことがあった。けれどお婿さんと一緒に暮らすのは気がすすまなかった。それに、なぜだかこの紅葉から離れがたかった。
🍀🍀🍀🍀🍀
ふと視線の先に、見覚えのある紅葉が映り込んだ。夕陽に照らされ燃えるような赤が心に迫る。やっと来た。
誰もいないと思っていた家から、元気な子供たちの声が響いてきた。聞こえてきたのは、孫の声だった。どうやら10歳の誕生日を祝っているらしい。子供たちや孫たちが集まり、私の遺影もテーブルに置いて、みんなでにぎやかにお祝いしている。
「にゃあにゃあ」と窓の外から力を振り絞って鳴いてみる。最初は、野良ねこが迷い込んだのだろうと思って、可愛がりたい孫たちが集まって額を撫でていた。けれど、ミリーの視線がまるで何かを伝えたがっているかのように一人ひとりに向けられると、皆が言葉にできない何かを感じ始めた。静かな緊張が漂う。
「ばあばなの?」孫が、その静寂を破って小さく尋ねる。
信じられないといった表情で立ち尽くしていたミリーの娘が、やがてゆっくりと近づいてミリーを抱きしめた。
「お母さん、黒猫になって駆け回りたいって、言ってたもんね。…やっと叶ったんだね」。そう言うと、堰を切ったように大きな声で泣き崩れた。
🍀🍀🍀🍀🍀
橙色に染まっていた夕焼けが、やがて静かに美しい漆黒へと移り変わり、遠くから打ち上げ花火のかすかな音が響いてくる。
多摩川の花火大会だ。いつの間にか、秋の風物詩になったらしい。小さかった子供たちと手をつないで眺めた記憶がよみがえる。儚くも美しい光が、夜空いっぱいに広がる。
年齢を重ねるにつれ、花火の美しさに自分の人生を重ねるようになった。
一瞬の煌めきだからこそ、その刹那的な美しさが際立って感じられる。人生は、まさにそんな一瞬一瞬の輝きで満ちている。そしてその輝きは心の中で永遠に生き続ける。
ミリーは皆に最後の別れを告げた。
その日は約束の50回目の日没だった。
🍀🍀🍀🍀🍀
ソラは、新たな飼い主と巡り会えた。
蔵之介の計らいで、永井のばあちゃんの家に迎え入れられることになったのだ。
猫の餌やり反対運動に心を痛めていたばあちゃんを、ソラはそばで懸命に支えた。少しずつ、ばあちゃんに笑顔が戻り始めた。
ソラは永井のばあちゃんに頼んで、前の飼い主だった「お父さん」の写真を飾ってもらった。
写真の中でお父さんはいつも笑顔をたたえている。何かを問いかけても、静かな微笑みが返ってくるだけで、時はそのまま止まっている。でも、記憶の中のお父さんはずっとそこにいて、変わらない温もりでソラの心を包み込んでくれる。
ソラは毎日、空を見上げる。
優しい朝焼けや夕暮れの光に包まれるたび、ソラの心に宿る思い出は宝石のように輝きを放つから。
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