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【歴史23】イラン史備忘録15(遊牧民エフタル・ペーローズ1世・カワード1世・ホスロー1世・東ローマ帝国和平・エフタル滅亡)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①459年に即位したペーローズ1世は遊牧民エフタルと戦ったが同時に東ローマ帝国と対立した。東ローマ帝国と西ローマ帝国の対立が激化するとササン朝の軍事的な負担は軽くなった。

②481年にペーローズ1世はエフタルに敗北して息子のカワードを人質として預けた。

3年後に再戦したがペーローズ1世は戦死したと云われている。

③カワード1世はエフタルのサポートで即位した。

カワード1世の息子であるホスロー1世下ではササン朝ペルシアで軍事体制が強まっていった。

④主な軍の指揮官は貴族たちであった。指揮官はいくつかの階級があり階級での役割をこなした。

貴族の下には軍人がいて領地農民を率いて戦った。領地を管理して農民から税をとっていた。農民は雑用係だった。都市で住む市民は徴税はされるが兵士として戦う事はなかった。

⑤ホスロー1世は50年間統治をした。即位に反対したマズダク教徒を弾圧した。ゾロアスター教徒に高評価を得ていた。ホスロー1世は貴族たちを抑えて中央集権化を推進して税制改革をした。

⑥農作物の収穫量をもとにした収入によって税を納める制度から収穫量に関係なく定額を納める制度にした。貧しくなった貴族たちに武具や馬を支給して軍役中に給料を支払うなど調整をした。

⑦東ローマ帝国が西ローマ帝国との戦いで余裕がなくなっている状況で561年にササン朝ペルシアは東ローマ帝国と50年間の和平条約を結んだ。

こうしてササン朝は東方のエフタルの討伐に尽力した。

⑧モンゴル高原から来た突厥という騎馬民族がエフタルの支配領域に侵入し始めた。

ササン朝は突厥と協力してエフタルを攻めた。563年ごろにエフタルは滅亡した。ササン朝の国家体制は安定した。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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