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【歴史23】イラン史備忘録23(グラーム・アルプテギン・サブクテギン・ガズナ朝・マドラサ・スーフィズム・クヌク族・イスラーイール・マフムード・トゥグリルベク・セルジューク朝)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①10世紀後半にアッバース朝やブワイフ朝は弱体化していった。イランでは奴隷出身のトルコ系民族が勢力を強めていった。

②アラビア語では奴隷をグラームと云う。アッバース朝下ではグラームは有力者の身の回りの世話や財政管理を行う側近であった。戦争ではグラーム軍団も組織された。

③トルコ系民族であるアルプテギンはサーマーン朝の奴隷であった。アフガニスタンのガズナでマムルクを集めて独立した。

977年にアルプテギンが亡くなると部下のサブクテギンが君主となった。ガズナ朝が樹立した。

④ガズナ朝の支配地域はイラン東部のホラサンからアフガニスタン南部のスィスターン、中央アジアのホラズム、北西インドのパンジャブへ広がった。10世紀初頭にガズナ朝は最盛期となった。ガズナ朝はスンナ派でありアッバース朝のカリフを貴んだ。

⑤ターヒル朝やブワイフ朝の下にいたイラン人は支配されていた。ただ文化伝統は維持していて近代ペルシア語は使われていた。

⑥マドラサという教育施設では多くのイラン人がイスラーム神学の研究を深めて法学や歴史学なども発展していった。マドラサの学生だったイラン人たちは官僚となり王朝を支えた。イラン人はアラブ人やトルコ人の下支えをしていた。

⑦ガズナ朝のトルコ系民族はイスラーム教のスーフィズムを実践していた。踊りで神との一体感を得る体験重視の信仰であった。トルコ系民族はすべてのものに霊魂が存在すると考えていたのでスーフィズムが合致しやすかった。

⑧10世紀ごろのトルコ系民族に約20の部族があった。オグズトゥルクメンには22の小集団がいた。そのなかのクヌク族が11世紀に台頭した。アルスラーンイスラーイールはカラハン朝に仕えてブハラやサマルカンドを支配していた。

⑨カラハン朝で権力闘争が起こってイスラーイールはガズナ朝についた。ガズナ朝の君主のマフムードはイスラーイールの優秀さを恐れて捕らえた。そして仲間を追放した。

⑩追放された人々は遊牧生活を送りガズナ朝の牧草地は占領された。マフムードはカスピ海の東北へ追放した。追放された者のなかにはイスラーイールの甥のトゥグリルベクがいた。

⑪トゥグリルベクは兄と軍団を組織した。1038年にガズナ朝の拠点であるニーシャープールを占領した。ここからセルジューク朝が始まる。1040年にガズナ朝を武力で倒した。ホラサンの有力者たちに解放者として迎え入れられた。

⑫セルジューク朝はトルコ系民族王朝だがイラン人は積極的に登用されて勢力拡大をしていった。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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