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truthpenguin
【歴史21】スイス史備忘録7(メロヴィング朝からカロリング朝へ・カールマルテル・トゥールポワティエの戦い・カールマン・小ピピン・カール大帝の活躍・ランゴバルド王国の征服)
スイス史の学習内容を深めていきます。
①アウストラシア分国では7世紀前半からメロヴィング朝の宮宰をしていたカロリング家が権力を握っていた。アレマン公はフランク人支配からの独立を目指してカロリング家に反抗した。
②メロヴィング朝のネウストリア王のクロタール2世はアウストラシア分王国やブルグント分王国と戦って613年にフランク王国を再度統一した。カロリング家は協力をし権力を増していった。
③732年にカロリング家のカールマルテルはトゥールポワティエの戦いでイスラーム勢力を撃破した。この戦いはヨーロッパキリスト教圏の礎を決定づけた戦いでもあった。
④カロリング家は国王に代わって政治を行うようになった。746年にはカールマルテルの子であるカールマンがアレマン公の反乱を鎮圧して服従させた。
⑤カールマンの弟である小ピピンは751年にローマ教皇の支持を得ることでメロヴィング朝を廃止してカロリング朝を開いた。
⑥ピピンの息子であるカール大帝(シャルルマーニュ)は768年に王位に就いた。
イタリア半島のランゴバルド王国を征服してフランク王国の領土を広げた。ラエティアの峠道はフランク王国の支配下となった。
⑦アルプス山脈と北イタリアの交通網が活発化した。カール大帝は790年には西のブルターニュ半島、東はカルパチア盆地まで征服した。
⑧800年にカール大帝はローマ皇帝の地位を得た。戴冠式は東ローマ帝国と対立をしていたレオ3世が行った。
■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社
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