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【歴史22】ベトナム史備忘録17(黎朝体制・仁宗・黎宣民・聖宗・進士・六部・官庁設置・監察制度)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。

①黎朝は清化の山地出身の武人たちが平野を支配した王朝だった。

軍事を担う清化の武人と平野の文人官僚たちが対立するようになった。黎朝初期には阮廌が宰相となって儒教に基づく官僚国家を目指した。

②科挙を整備して朱子学を正統な学問とした。黎利の創業を助けた武将とその子弟たちが権力を握ると阮廌を失脚させた武人たちが宰相職を独占した。

③第3皇帝の仁宗(ニャントン)の治世時の1459年に

文人官僚の支持を得ていた黎宣民(レイギーザン)がクーデターを行い第4代皇帝となった。

④1460年には武人たちがクーデターを起こして聖宗(タイントン)が第5代皇帝となった。

聖宗は文人官僚たちと協力して武人たちの力を抑えた。

⑤聖宗は科挙を3年に1回実施すると定めて科挙の最終試験合格者に対して進士という称号を与えたりした。科挙官僚を増やしていった。宰相職を廃止して六部(吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部)といった行政機関を設置した。

⑥各部のリーダーである尚書が皇帝に直属して特定の人物に権力集中しないようにした。皇帝をサポートする文人官僚を配置する官庁の翰林院や東閣を拡充した。

⑦地方行政を監視する監察制度を整備した。現在の省の行政区画の元となった12の承宣を設置し行政、監察・司法、軍事の3部門として権力集中を防いだ。

⑧承宣の下に府がありその下に県と州が置かれた。軍事面では明にならった中央集権的な制度を採用した。王都防衛軍を構成する清化と乂安出身の武人たちが強くなった。

■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社

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