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【歴史21】スイス史備忘録18(永久講和・シャルル突進公・ブルゴーニュ戦争・傭兵契約)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①ブルグント王国西部(フランス南東部)はフランス語でブルゴーニュと呼ばれていて15世紀にヴァロワ家の血を引く公の支配をうけた。

②15世紀後半に公位についたシャルルは領土拡大に熱心であった。フランス国王の臣下であったがネーデルラント(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)からフランス南東部、地中海方面までの所領を形成した。

③1469年に財政難だったハプスブルク家のオーストリア大公ジークムントは上アルザスとシュヴァルツヴァルトの所領をシャルル突進公に売却した。シャルル突進公はこの地域を統治した。

④オーストリアは1474年に盟約者団と永久講和を結んだ。ハプスブルク家がスイスで失った所領の放棄を約束した。ブルゴーニュ公との戦争に備えた。

⑤盟約者団はヴァロワ本家のフランス国王ルイ11世やロレーヌ公も味方につけた。ブルゴーニュ公側にはミラノ公とサヴォワ公がついた。

⑥1474年10月にフランシュ・コンテにスイス諸邦の軍勢が攻め込んでブルゴーニュ戦争が勃発した。

⑦1476年3月のグランソンの戦い、6月のムルテンの戦いでスイス諸邦軍はブルゴーニュ軍を倒した。1477年のナンシーの戦いではロレーヌ軍とスイス諸邦軍がブルゴーニュ軍を倒した。シャルル突進公は戦死した。

⑧ブルゴーニュ公領は解体されシャルル突進公の娘が嫁いだハプスブルク家に領土の多くが移された。

⑨ブルゴーニュ戦争はヨーロッパ諸国に盟約者団の強さを見せた。諸国は競ってスイス諸邦に傭兵を求めるようになった。ミラノ公やサヴォワ公、オーストリア大公(1457年から)、ローマ教皇がスイス諸邦間で傭兵契約を実現させる事となった。

⑩フランスとの契約は1474年に結ばれていた。スイスの傭兵業の
伝統はこの時期に生まれた。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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