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【歴史23】イラン史備忘録20(アルアミーン・アルマームーン・バイトアルヒクマ・近代ペルシア語・マムルク・ムウタスィム・サーマッラー・ムタワッキル・アリービンムハンマド・ターヒルイブンフサイン・ターヒル朝)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①ハールーンアッラシードは809年に亡くなった。アッバース朝内ではアラブ人とイラン人の後継者争いが起こった。

②アッラシードとアラブ人の妻の息子であったアルアミーンはバクダードでカリフに即位した。

アッラシードとイラン人の妻の息子であったアルマームーンは811年に東方決起をして814年にカリフ宣言をした。

③バクダードに攻め込んで街を破壊して813年にアルアミーンを倒した。こうしてチグリス川の東岸に首都機能を移転した。またバイトアルヒクマ(知恵の館)を設置した。ギリシア語の文献はアラビア語に翻訳された。

④9世紀となりアラビア語を改良したペルシア語が使われ始めた。アラビア語を起源とする新ペルシア語(近代ペルシア語)ができた。

⑤バグダードにはスンナ派勢力が多かったのでアルマームーンは街を破壊した。ホラサン地方の軍人はバグダードに行かなくなったので中央アジアのトルコ系民族をマムルク(奴隷兵)とした。

⑥バクダードに移住したマムルクはバグダードの軍人と対立した。マムルクがバグダードの治安を悪化させたので8代目カリフのムウタスィムは836年に首都をサーマッラーへ移転した。

⑦847年にムタワッキルは10代カリフとして即位して財政改革に失敗をした。869年にメソポタミア南部で過酷労働を強いられていた黒人奴隷が反乱を起こした。リーダーのイラン人のアリービンムハンマドは独立国家を宣言した。

⑧883年にカリフが軍を派遣して反乱は鎮圧された。アッバース朝の権威は下がっていった。スンナ派とシーア派の争いによってアッバース朝の分裂が始まった。

⑨821年に東方ホラサン地方でイラン人のターヒルイブンフサインがターヒル朝を樹立した。イラン人初のイスラーム国家とも云われる。イスラーム教の集団礼拝でカリフの名を読み上げる慣習を廃止して貨幣からカリフの名を消し独立をアピールした。

⑩ターヒルはアッバース朝に貢ぎものを納めバグダードの総督に任命されている。なのでアッバース朝と敵対はしていなかった。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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