【歴史22】ベトナム史備忘録5(交易権威・士燮・インド化・中国朝貢)
ベトナム史の学習内容を深めていきます。
①交趾群は国際交流の中心地として発展した。交趾群に赴任した地方官のなかで交易利益によって権力を得ているものがいた。ゆえに中央の意向に従わなかった。
②後漢の末期に交趾群の太守であった士燮は地方官として有名である。交益で力をつけていき三国時代の群雄の1人とされるまでになった。南越領域を支配する事に成功した。
③4世紀以降にインド洋の東側でモンスーン航海が行われた。こうしてベンガル湾を渡ってインドから多くの人々が東南アジアにやってきた。ベトナムはインド文化の影響を受けた。
④交易によって権力を得た港市の王たちは権威づけのためにインド政治制度や文化を真似しようとした。
これがインド化である。
林邑が栄えた中部は4世紀からサンスクリット語を刻んだ碑文は多く建立された。
⑤中国風の宮殿に住んでいた王たちはインド風の王名を名乗ってバラモンに儀礼を行わせてヒンドゥー教や仏教を取り入れた。
⑥海南島を経由して南シナ海を縦断する航路が使えるようになって中部は海南島とインドシナ半島を結ぶ中継地となった。中部諸港は南シナ海交易の主導権を握って国際港として発展した。
⑦南部扶南はインドのバラモンと現地女性が結婚して建国されたという説話が中国史料にある。扶南がインド化した後につくられたものと考えられる。
⑧中国の影響もあった。倭の五王が朝貢した六朝時代の中国に林邑と扶南の王が朝貢使節を派遣している。
政経では中国関係、国内ではインド風を文化で国王権威を固めていったと云われている。
■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社
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