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世界史イスラーム概論
世界史イスラームは一般的な教科書に載っているがきわめてわかりづらいであろう。ゆえに今まで勉強した事をベースに簡単にまとめた。イスラーム世界がわからない限り世界史の全体像が見える事はない。
(1)イスラーム教の聖典はクルアーンである。第3代正統カリフであるウスマーン時代に編纂された。アラビア語で書かれているのでイスラーム世界ではアラビア語が主流となった。
(2)7世紀のアラビア半島でイスラーム教を創始したのは
クライシュ族のムハンマドである。
(3)アラビア半島の中継貿易拠点であったメッカで迫害を受けたムハンマドは
622年にメディナに移住した。これがヒジュラ(聖遷)である。ここからヒジュラ暦が用いられる。ゆえに西暦と数字のズレがある。
(4)ムハンマドが率いたイスラーム教徒の共同体はウンマである。政治・軍事・宗教が一体となったものだ。
(5)イスラーム世界では直接俸給をもらうアター制度からブワイフ朝以後にイクター制という分与地の徴税権の付与へ移行した。
(6)イスラーム教の正統カリフ時代はアブーバクル、ウマル、ウスマーン、アリーの4人がカリフを担当した。スンナ派はこの系譜を重視する。カリフとは後継者である。アラビア語ではファーリフという発音が近い。アリーの子孫のみを正統とするのがシーア派(アリー党)である。
(7)正統カリフ時代にムスリムが征服地に建立したのはミスルという軍営都市である。エジプトは東ローマ帝国が支配していたがイスラーム軍団に支配され軍営都市となった。エジプトはアラビア語でミスルである。
(8)正統カリフ軍団は642年にササン朝ペルシアを撃破した。ゾロアスター教を国教としていたササン朝ペルシアは滅亡した。
(9)アラブ人が被征服地の異民族の人々から徴収した人頭税はジズヤである。主に非アラブ人の非イスラーム教徒に課せられた。土地税はハラージュでありこれはアラブ人にも課せられるようになった。
(10)ウマイヤ朝が732年にフランク王国と
衝突したのはトゥールポワティエ間の戦いである。
この戦いが中世ヨーロッパの形成に寄与したという考察が存在する。
(11)正統カリフのアリーと戦い勝利した
ムアーウィアはウマイヤ朝を打ち立てた。
(12)750年にアブーアッバースの革命によってウマイヤ朝を打倒してアッバース朝が樹立した。アラブ人特権を廃してムスリム平等原則を確立した。
751年のタラス河畔の戦いで中国王朝唐を打倒して中央アジアまで勢力を伸ばした。1258年にモンゴル帝国のフラグ(イルハン国の創始者)にバグダードの戦いで滅ぼされるまで権威であった。
(12)ウマイヤ朝の次期王朝のアッバース朝の第2代カリフであるマンスールは平安の都バグダードを建設した。最盛期には100万人を超える人口がおり、唐の長安と並び国際都市となった。
(13)政治や司法分野で活躍したイスラーム教の法学や神学を学んだインテリ層をウラマーという。カリフは有力ウラマーを登用して政治に活用をした。
(14)アッバース朝の最盛期は第5代目のハールーンアッラシードの時代である。広域な支配で交通安全が確保された。
ムスリム商人による交易が発展した。イスラーム教が商人の宗教だと云われるのはアッバース朝の影響が大きい。
(15)イスラーム教徒が守るべき体系はシャリーアである。クルアーンやムハンマドの言行禄であるハディースに基づき9世紀頃までに体系化された。
(16)インド、イラン、アラビア、ギリシアの説話を集めたアラビア語の説話集は千夜一夜物語である。
(17)イスラーム建築で植物や文字を図案化した幾何学的文様はアラベスクである。偶像崇拝から人物や鳥獣は描かれなかった。
(18)アッバース朝時代のイスラーム神学者のタバリーは『預言者と諸王の歴史】を編纂した。ヒジュラ暦で書かれている。ムハンマドがヒジュラした622年を基点にして1年を354日とする。
(19)9世紀以降にギリシア語文献はアラビア語に翻訳された。主にバグダードにあった知恵の館で行われた。ギリシア語文献がアラビア語に翻訳されて12世紀頃にアラビア語の文献がラテン語に翻訳された。
これが12世紀ルネサンスとなる。西洋哲学の背景には大量のギリシア語文献とアラビア語文献があるのだ。
(20)知恵の館で有名な数学者はインドからゼロの
概念を導入したフワーリズミーがいる。
ポイントはムハンマド時代、正統カリフ時代、ウマイヤ朝時代、アッバース朝時代は最低限流れを把握しておく必要がある。ここまでセットという事だ。それ以後は各自自分で勉強すればいい。
コーランを編纂したのは3代目カリフウスマーンであったりスンナ派とシーア派の明白な区別はウマイヤ朝樹立からである。
イスラーム教の平等原則はアッバース革命、商人の宗教となったのもバグダード樹立が大きかったと云える。
宮宰カールマルテルが台頭したトゥールポワティエ間の戦いではローマ文化・キリスト文化・ゲルマン文化を礎にした体制を阻むものがなくなりヨーロッパとされるものが形成されたとも云える。
阻まれたウマイヤ朝はイベリア半島に移行する。後ウマイヤ朝となり後にコルドバを中心としたスペイン文化の要素となっていく。
レコンキスタ運動にも大きく影響した。
ヨーロッパのルネサンス運動の背景にあるのもギリシア語を翻訳したアラビア語文献であった。ここでもバグダードにある知恵の館が寄与している。
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