【歴史21】スイス史備忘録12(自由特許状・原初三邦・永久同盟・ヴィルヘルムテル)
スイス史の学習内容を深めていきます。
①ザンクト・ゴットハルト峠道にある渓谷地であったウーリはハプスブルク家の支配下にあってそこの代官によって統治されていた。
②ウーリの人々はハプスブルク家による徴税や徴兵、裁判などから逃れるために資金を出し合って自らの自由と自治を得ようとした。
③新たな交易ルートを求めていたホーエンシュタウフェン家のドイツ国王ハインリヒ7世は1231年にウーリに自由特許状を与える事にした。こうしてウーリは帝国直属の地位を得て皇帝・国王以外の貴族の支配を受けない権利を獲得した。
④帝国税の徴収と帝国による徴兵、重罪犯の裁判以外の自治が認められた。ハプスブルク家の領地だったシュヴィーツも1240年に自由特許状を獲得した。ウンターヴァルデン(ニートヴァルデンとオプヴァルデン)は自由特許状を求めたが地方貴族や修道院の支配権に影響されたため1309年まで実現しなかった。
⑤ハプスブルク家から出た初の皇帝であったルドルフ1世は1291年7月に亡くなった。
神聖ローマ帝国の各地でハプスブルク家に対する反乱が起こった。
⑥原初三邦であるウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの代表者たちは1291年の夏に永久同盟を結んだ。この同盟はスイス国家の起源とされて19世紀末から8月1日がスイス建国の日となっている。
⑦永久同盟は共同体のいずれかが外部からの攻撃を受けた場合に同盟のメンバーである盟約者が自らの費用で援助を行う事を義務づけていた。盟約者同士の争いでは内部の裁判官の判決のみに従う事も決まっていた。
⑧ハプスブルク家などの貴族が盟約者内の争いに介入する事を防ぐのが目的であった。すべての貴族の追放を目指すものではなくて古くから共同体内部に至る貴族を味方につけていた。
⑨原初三邦の戦いの先頭には伝説の英雄であるヴィルヘルム・テル(ウィリアム・テル)が活躍したと云われている。架空の人物と云われているが日本では明治時代の自由民権運動で紹介された民主主義のモデルとなった。
■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社
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