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【歴史22】ベトナム史備忘録23(華人の世紀・シナモン・鄚玖・トンブリー朝・タークシン・メコンデルタ)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。

①17世紀末に清との貿易が増加した。清朝は明の復活を目指していた台湾の鄭氏を弱らせるために海禁政策(遷界令)をとっていたが1683年に撤回した。

②中国商人の海外渡航が許可されて多数の商船が東南アジアを訪れた。この当時の中国では人口が飛躍的に増加した結果に移民が急増した。多くの人々は東南アジアにやってきた。

ベトナムではフォーヒエンやホイアンなどの主要港に中国商人の居留地が拡大した。

③北部山地には貴重な鉱産資源や森林産物が多くあったので数十万いわれる移民が資源を求めて押し寄せた。

当時の代表的な輸出品の一つだったシナモンなどは採りつくされたと史料には記されている。

④中国からの移民の商品が中国商人によって中国市場に流入するというサイクルができて商業活動は活発となった。アンソニーリードは18世紀を華人の世紀と呼んでいる。

⑤中国市場向けの有力商品を生産しない紅河デルタの農村では貿易発展の恩恵を受けられなかった。

密貿易により肥大化した盗賊集団に苦しんだ。旱魃、冷害、洪水などの自然災害なども問題となった。

⑥北部の鄭氏は華人への警戒感を強め制限を加えた。中部を支配する阮氏は華人商人を利用しようとした。ホイアンの華人商人は手厚く扱われた。

⑦清朝の支配をよく思わない陳上川などの華人の亡命者たちを受け入れて未開地が多かった南部のメコンデルタに送り込んで開拓に利用した。南部では多くの華人が住んでいた。

⑧南部華人のなかでは鄚(マク)氏が力を持っていた。カンボジアとベトナムの国境西端でタイ湾に面した河仙(ハーティエン)に拠点を持った広東出身の鄚玖(マクキュウ)はカンボジア王と阮氏の双方と関係を持ち広東出身の移民をまとめあげた。銀山開発や貿易で富を得て権力を握った。

⑨潮州出身で華人であったタークシンは1768年にトンブリー朝を開いた。シャム(タイ)の国王となって河仙を占領してメコン川流域へ影響力を伸ばした。

⑩クメール人、マレー人、華人といった多文化空間が形成されたメコンデルタは国際商業センターとして発展した。

カンボジア、ベトナム、シャムの影響力が重なる政治的に複雑な地域となった。

■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社

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