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【歴史23】イラン史備忘録28(モンゴル軍台頭・テムジン・チンギスハン・ジャラールウッディーン・ホラズムシャー朝滅亡・オゴディハン・金滅亡・バトゥ・ワールシュタットの戦い・クユクハン・西方侵攻・キプチャクハン国)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①モンゴル高原でテムジンがナイマン族やメルキト族などのモンゴル系民族を制圧していった。1206年にモンゴル高原を統一して
ンゴル帝国を成立させた。テムジンはチンギスハンと名乗った。

②1215年に南の金を攻めて燕京を攻め落として西遼に侵攻して併合した。1218年にチンギスはホラズムシャー朝に通商を求めて使いを送ったが代官に使いは殺された。チンギスは軍を率いて中央アジアへ遠征した。

③モンゴル大軍はホラズムシャー朝の都市を攻略をしてアラーアッディーンムハンマドは西へ逃げた。1220年にモンゴル軍はサマルカンドに入り町を破壊して住民を虐殺した。

④1220年にアラーアッディーンムハンマドは病死した。1221年にモンゴル軍はホラサンに攻め込んでホラズムシャー朝は崩壊した。アラーアッディーンムハンマドの息子のジャラールウッディーンは抵抗を続けた。

⑤チンギスハンは1227年に亡くなったためモンゴル軍は一時的に撤退した。

ジャラールウッディーンはシリア地方をめぐりエジプトのアイユーブ朝やアナトリアのルームセルジューク朝と対立した。

⑥1230年に王朝の連合軍と戦ったが敗北した。1231年にモンゴル帝国の第2代皇帝のオゴディハンがアゼルバイジャンを攻めた。モンゴル軍に追撃されてディアルバクルでクルド人に倒された。

こうしてホラズムシャー朝は滅亡した。

⑦オゴディハンは1234年に金王朝を滅ぼした。西方侵攻を開始した。西方遠征のリーダーはオゴディハンの甥のバトゥだった。

1236年にモンゴル軍はロシア方面のキエフを攻略して周辺都市を占領した。

⑧カザフ草原や北コーカサス地方の民族はモンゴル帝国に支配された。モンゴル遠征軍の一派はドイツやポーランドに行き1241年のワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド軍を撃退した。

⑨1241年にオゴディハンは急死して遠征軍に帰還命令がでた。バトゥは対立していたクユクハンが第3代皇帝として即位する事が決定したので南ロシアに留まる事とした。

⑩1243年にバトゥはキプチャクハン国を建てて独立をした。ロシア人やトルコ系のキプチャク人を支配した。ロシア史ではこのモンゴル支配をタタールのくびきと呼んでおり発展の遅れとなったと解釈されている。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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