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【歴史20】カナダ史備忘録49(ルサージュ・静かな革命・ケベック党・ケベック解放戦線・十月危機・レヴェック・1982年憲法・完全主権確立)

カナダ史の学習内容を深めていきます。

①ケベック州のフランス系住民の間ではカトリック教会の
保守的な価値観が支配的だった。近代的制度導入が遅れていた。

②1960年代7月に州首相となったジャン・ルサージュは電力会社を公営にして州内の電気料金を安定させた。公営の金融機関を設立して州内企業を育成し公務員の労働条件を改善させた。

③州内の教育をカトリック教会から切り離して年金制度や医療保険制度を充実させていった。

ケベックにおける新政策は静かな革命といわれる。改革が進む事で地縁や血縁より地域主義が浸透していった。

④1968年にはルサージュのもとで州政府の要職を歴任していたルネ・レヴェックを中心にケベック独立を唱えるケベック党が結成された。ケベック党とは別に武力闘争を掲げる急進的なケベック解放戦線(Front de Libération du Québec)も結成された。

⑤カナダ政府と軍に対する過激なテロ事件を起こした。

1970年代にはイギリスの外交官ジェームズクロスとケベック州労働大臣のピエールラポルトを誘拐して逮捕されたメンバーの釈放や身代金を要求した。

⑥連邦政府は戦時措置法を適用してFLQを鎮圧するための軍を動員したがラポルトは殺害された。クロスを誘拐したグループはキューバに亡命したが他のメンバーのほとんどは逮捕された。

⑦この事件は十月危機である。

FLQはケベック州の支持を完全に失って壊滅した。ケベック党は平和的な独立運動を呼びかけて1976年11月の州議会選挙で勝利してレヴェックが州首相となった。

⑧レヴェックが州内の公用語をフランス語のみに定めると一部のイギリス系住民は州外に転出した。1980年5月にはケベックが独立した上でカナダと国家連合を形成するという案が住民投票にかけられたが反対が約60%を占めた。

⑨こうして連邦政府もケベックの動きを無視できず州と連邦政府の関係など憲法を見直す事となった。

⑩20世紀後半までカナダ独自の憲法はなかった。代わりに国王布告(1763年)、ケベック法(1774年)、英領北アメリカ法(1876年)が憲法の役割を果たしていた。これらの改定にはイギリス議会の承認が必要だった。

⑪ケベック独立問題をきっかけに憲法の見直しの協議が進んだ。1982年3月に憲法改正の権限をイギリスからカナダに移譲する事を定めた1982年カナダ法がイギリス議会で成立した。

⑫4月17日にオタワでエリザベス2世によって1982年憲法が公布された。英領北アメリカ法は1867年憲法と改称されて1867年憲法と1982年憲法がカナダ憲法の骨格となった。ゆえに全く新しい憲法をつくったわけではない。

⑬基本的にはイギリス国王を国家元首とする立憲君主国家であり総督が国王代理を務めるが行政、立法、司法は完全にイギリスから独立した。イギリス植民地という立場ではなくなったのだ。

⑭1982年憲法では第1章で「権利と自由の憲章」では人種、民族、宗教、性別、精神的・身体的障害による差別を受けないという平等権の保証、英語とフランス語を公用語とし双方の教育権利が謳われている。

⑮第2章でインディアン、イヌイット、メイティを先住民と定義してその権利が記されている。第5章で憲法改正には連邦議会の上院・下院とすべての州の2/3以上の州議会の賛成が必要とした。

⑯ケベック州は同州が独特の社会である事を憲法前文に明記する事や最高裁判事の選出や移民の受け入れなどに関して州の意向を反映させる事を要求した。連邦政府は憲法修正案をつくったが国民投票で否決された。ゆえに2024年1月時点でもケベック州は1982年憲法を承認していない。

⑰ケベック州の公用語はフランス語である。それ以外の大部分の州は州内での公用語を英語としている。

ニューブランズウィック州は旧仏領のアカディアを含むので英語とフランス語の両方を公用語としている。

■参考文献 『1冊でわかるカナダ史』細川 道久 河出書房新社

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