見出し画像

【歴史20】カナダ史備忘録40(キング政権・トルコ革命・バルフォア報告書・ウェストミンスター憲章・独立国家・イギリス連邦)

カナダ史の学習内容を深めていきます。

①大戦後に保守党は物価上昇の問題を改善できなかったため支持を失って1921年12月の総選挙で自由党が勝利した。ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングが首相となった。

②キングは元官吏であった。労働次官として優れた手腕を発揮した。演説は不得手だったが重要な問題は広く国民に情報公開して世論を考慮する方針を取った。

1940年代までカナダ政界をリードしていった。

③キングは1837年にアッパーカナダで起こった反乱指導者の孫である。オスマン帝国では帝政の打倒を唱えるトルコ革命が勃発した。1922年9月にイギリスはカナダに軍を派遣するよう要請した。

④キングは議会承認を得る必要があると抵抗した。

政治家も国民もいくらイギリスの命令であっても遠く海外での戦争に関わりたくなかった。結局カナダ軍が派遣せずにいるうちに英仏軍は撤退した。

⑤1926年6月にはキング政権が不祥事から議会で内閣不信任案を出すと渋られたため総督のビングに議会解散を申し出ると前回の総選挙から日が浅いという理由で拒否された。

⑥総督に拒否されたキング内閣は総辞職してそのうえで総督の態度は自治領であるカナダをイギリスの直接支配を受けていた時代に戻そうとする行為と主張して国民の支持を集めて総選挙で勝利して政権の座に返り咲いた。

⑦カナダと同様にイギリスの統治下にあった南アフリカやイギリスの構成国だったアイルランド自由国も自治権拡大を要求した。1926年10月にロンドンで開催された帝国会議で『バルフォア報告書』を発表した。

⑧元イギリス首相で枢密院議長のバルフォアがキングら各自治領の代表者と協議して「自治領はイギリス国王に対する忠誠によって結びつき本国と対等」であると規定した。

⑨バルフォア報告書の方針でカナダは独自の外交権を獲得した。アメリカ、フランス、日本と独自の外交関係を始めた。

日本はアジアの強国であり新しい貿易相手であり移民問題が存在していたためだ。

⑩1928年には日本がオタワに公使館を翌年にカナダが東京に公使館を設置した。

1931年12月にイギリス議会でウェストミンスター憲章が成立した。これはバルフォア報告書の内容を反映している。

⑪カナダやオーストラリアなどの自治領はイギリスと対等な立場でありイギリス国王を首長とする国家連邦(ブリティッシュ・コモンウェルス・オブ・ネーションズ)の構成国と定めた。

カナダは事実上独立国家となった。この枠組みはイギリス連邦(英連邦)と呼ばれる。

⑫後の第2次世界大戦後にはインド、マレーシア、パプアニューギニア、ガーナ、ケニア、カメルーンなど新たにイギリスから独立したアジア・アフリカ諸国が加わった。コモンウェルス・オブ・ネーションズと呼ばれるようになった。

■参考文献 『1冊でわかるカナダ史』細川 道久 河出書房新社

いいなと思ったら応援しよう!

真のペンギン@意識低い系
学習教材(数百円)に使います。

この記事が参加している募集