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【日本史10】大正史備忘録5(政治意識の高まり・山本権兵衛・第1次山本内閣・軍部大臣現役武官制廃止・官僚採用規則改正)

大正時代の学習を深めていきます。

①大正政変勃発の背景には日清戦争や日露戦争を経て国民間の愛国心の高まりがあった。政治の上層部ではなく自分たちが国家の下支えをしているという感覚は強くなっていた。

②日露戦争のポーツマス条約でロシアから賠償金を得れなかった事で明治後期には日比谷焼討事件が起こった。それ以後は重税が続いて国民の不満は高まっていた。

③工場労働者が増加して社会主義思想が広まって賃金や労働時間などの待遇改善や社会保障の充実を求めて集会やデモが頻発していた。

④義務教育で識字率が上がり大衆が新聞や雑誌などから情報を得られるようになっていた事によって全国各地で一斉にデモが発生するようになった。

⑤陸軍が軍部大臣現役武官制を利用して第2次西園寺内閣を総辞職させた事や桂太郎が大正天皇の勅語を利用して第3次桂内閣を発足しようとした事などが国民に共有されるようになっていた。

⑥中国王朝の清が1912年(明治45年)に滅亡して中華民国が建国された事は大きかった。民衆が団結して権力者を打倒した情報は日本国民に共有されていた。

⑦第3次桂内閣が総辞職を申し出た後に元老と西園寺の協議で首相に任じられたのは海軍大将の山本権兵衛(16代目)であった。長州閥で陸軍であった桂太郎が非難を受けたので政友会と良い関係を結んでいた薩摩閥で海軍の山本が適任とされた。

⑧山本権兵衛は海軍の組織運営を行っていた。若手な優秀な人物を抜擢して海軍内の改革を行っていた。日露戦争を含めて約8年もの間海軍大臣をしていた。

⑨1913年(大正2年)2月10日に山本内閣が発足した。元外務省官僚の牧野伸顕を外務大臣として迎えた。牧野の実父は明治初期に内務卿であった大久保利通である。

⑩内務大臣は原敬、司法大臣に松田正久、逓信大臣に元田肇、大蔵大臣として高橋是清(後に大正首相)と農商務大臣は日本銀行元総裁の山本達雄が担当した。政友会に歩み寄る政権となった。

⑪山本権兵衛は軍部大臣現役武官制を廃止した。引退した将官であっても陸軍大臣や海軍大臣に就けるようにした。

桂内閣から留任となった陸軍大臣の木越安綱、後任の楠瀬幸彦はこの方針を認めた。

⑫山本権兵衛は山縣有朋が定めた文官任用令による官僚採用規則を改正した。中央官庁や地方自治体の要職は高等文官試験の合格者のみを採用していたが中央官庁のなかで省庁の次官や議会の書記長は高文合格者でなくても就任可能にした。

■参考文献 『1冊でわかる大正時代』 大石学 河出書房新社

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