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【歴史23】イラン史備忘録5(カンビセス2世・カルタゴ・ダレイオス1世・ベヒストゥン戦勝記念碑文・王の王・サトラップ・不死隊・王の道)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①キュロス2世はメディア王国の制度を継承したと云われている。キュロス2世には明らかな国家理念はなかった。

②BC530年にキュロス2世は亡くなった。継承者のカンビセス2世はエジプトへ攻め込んだ。BC525年にカンビセス2世はエジプトを支配してエジプトのファラオとなった。

③カンビセス2世は4国対立の時代を終わらせた。カンビセス2世は地中海進出を考えてアフリカ北岸のカルタゴを征服しようとした。フェニキア人の協力は得られず征服できなかった。エチオピア遠征は断念した。

④カンビセス2世が亡くなりダレイオス1世が即位した。有力者たちは各地で反乱を起こしたが反乱を短期間で鎮めた。反乱後の出来事はイラン西部の岩山ベヒストゥン戦勝記念碑文に記されている。出自や王となった経緯、領土などがペルシア語、アッカド語、エラム語で記されている。

⑤ダレイオス1世はアケメネス朝ペルシアの体制整備や都の建設をした。メディア人、バビロニア人、シリア人、リュディア人、フェニキア人、アラム人、エジプト人、ギリシア人たちの上に君臨した。王の王である。

⑥アケメネス朝は領土を20の州に分けて土地の有力者をサトラップ(太守)とした。担当する地域の治安を守り経済力に応じた税金を住民から取り立てて国へ納める事が義務づけられた。

⑦サトラップが派遣されていない一部の地域に王に貢ぎものをする事が義務づけられた。

中央から官僚を派遣して行動を監視して不正行為がないなどを見張るために王の目や王の耳と云われるスパイを派遣した。

⑧アケメネス朝ペルシアの宮廷は親族中心で構成されており政治体制は法官や財務官、納税者などの官僚が中心だと云われている。軍隊は10人を最小単位として指揮官が置かれて100人、1000人、1万人と束ねる軍団が組織された。

⑨弓や槍で武装した歩兵、騎兵やラクダ兵や戦車兵で編成された。王直属の精鋭部隊は不死隊である。大戦争ではサトラペイアから地方軍、ギリシアから傭兵が集まった。

⑩トルコ西部にあったサルディスからイランにあるスーサに至る道が整備された。これが全長2400Kmの王の道である。石畳などで整備されて馬車を走らせる事ができた。全体で111の宿駅が設置された。一部の宿駅には軍隊が整備された。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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