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【歴史21】スイス史備忘録26(ナントの王令・ユグノー弾圧・ヌーシャテル・フリードリヒ1世・第2次フィルメルゲン戦争・スペイン継承戦争)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①フランスの支配階級ではカトリックが多数派だった。

1598年にナントの王令が出されてカルヴァン派のユグノーにも信仰自由が認められた。

②ルイ14世は1685年にナントの王令を廃止したのでユグノーはカトリック改宗をしないとフランスに留まる事ができなくなった。1700年までに約2万人のユグノーがスイスに亡命して定住した。

③ユグノーの大半は技術者でありチューリヒやバーゼルのツンフト(職業組合)は仕事を守るために受け入れを拒否した。ゆえにスイス経由でドイツに逃れた。その数は6万人だと云われている。

④ベルンの西方のヌーシャテルを統治していたフランス系貴族であるオルレアン・ロングヴィル家が1707年に断絶したのでルイ14世はヌーシャテルをフランスに編入しようと試みた。

⑤プロテスタントだったヌーシャテルの有力者たちはフランス国王の統合を良く思わずプロテスタントだったプロイセン国王フリードリヒ1世を候補者に選んだ。

⑥ヌーシャテルはフリブールやベルンとの保護同盟によって武装中立の盟約者団と結びついていた。

⑦1712年にザンクト・ガレン修道院領トッゲンブルクの改革派が修道院長の圧政に対して反乱を起こした。チューリヒとベルンがサポートをして第2次フィルメンゲン戦争が起こった。

⑧改革派はカトリック軍を倒した。平和条約で共同支配地を双方が認めて宗派の問題は両派から同じ数の代表が参加する仲介裁判で処理される事となった。宗派問題は対話で解決されるようになり宗教戦争は沈静化していった。

⑨スペインハプスブルク家が断絶してフランスブルボン家がスペイン王位継承要求に起因する戦争が起こった。これがスペイン継承戦争である。スイスの地は安全だったがスイス人の傭兵は双方に雇われて互いに戦う事となっていた。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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