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【読書16】矢内原忠雄 キリスト教入門
徳川時代における切支丹キリシタンの活動は別として明治維新後キリスト教が日本に伝道されてから八十年であるがこの間キリスト教の伝道は、見方によっては相当成功したとも言えるし、あまり成功しなかったとも言える。
ただ政府も国民も概してキリスト教に対して冷淡であり、はなはだしきはキリスト教は日本の国体にそむくものであるとして、公然これを排斥した有力学者も少なくなかった。加藤弘之や井上哲次郎らは、その急先鋒であった。
加藤弘之や井上哲次郎といった人物を筆頭にキリスト教は国体を誇示するために軽視されてきた。
このような碩学せきがくによって排斥されたため、キリスト教は日本の国体に合致しないということが教育界の常識となり、それが国民の間にキリスト教の布教及び信仰を困難ならしめたことは明白である。もしも明治政府とその指導的な政治家並びに教育者がそのような態度をとらなかったならば、キリスト教の伝道はもっと順調に行なわれたであろう。
ゆえにそれが布教や信仰の抑止につながってきたのである。明治政府と明治の政治家や教育関係者が日本国体を必要以上に誇示しなければキリスト教の伝道はスムーズに進んでいたと思う。
国家主義者のキリスト教排斥は、満州事変後太平洋戦争の終局に至るまでの間において最高潮に達し、迫害による受難者も少なからず出た。
迫害で亡くなった人もいた。
それにしても日本国民は、まだあまりにもキリスト教を知らなさすぎる。
西欧文明の内容及び基礎を知るためにも、
民主主義的精神を理解しこれを身につけるためにも、ひろく日本国民は一般にキリスト教のことを知らねばならない。
会得するためには必然的にキリスト教の素養が必要である。
私自身は年齢十九歳(数え年)の時、内村鑑三先生の門に入ってキリスト教の聖書を学び始めてから、すでに四十年を越えた。この間、学問のかたわらキリスト教の聖書について講義をしてきたことが多年であり、その一部は終戦後角川書店から単行本として出版された。
私は大正六年大学を卒業したのであるが、卒業後二年を経たころ、親戚や周囲の人々に対する啓蒙的な信仰弁明書を執筆し、これは『基督者の信仰』と題して、大正九年内村鑑三先生の好意により聖書之研究社から出版された。これが私の生涯における最初の著述、すなわち処女作であった。
私は、ことわるまでもなく牧師でも神学者でもない。ただの一平信徒であるにすぎぬから、本書のごときも専門の宗教家から見ればいたって素人しろうとくさい、素朴な解説であるだろう。
しかし本書は宗教専門家のために書いたのではなく、ただの素人のために書いたのであり、しかもできるだけ平易に書いたのであって、素人には素人の書いたものがかえってわかりやすい点もあるかもしれまい
否、信仰のことについては、専門家も素人も区別はない。信仰はすべての人にわかる共通の真理であり、共通の恩恵なのである。これが大胆にも一人の平信徒であるにすぎぬ私が本書を書いた理由である。
だから本書を書かせていただきました。
本書がわが国民の間にキリスト教についての理解をひろめ、進んでキリストを信ずることを求める人々の助けになることがあれば、
どんなにか喜ばしいであろう。
伝統活動の助けとなるのであれば嬉しい限りである。
■感想
『キリスト教入門』の導入部分である。
信仰するか否かの問題以前に骨格としてキリスト教の素養を知るための啓発書である。矢内原忠雄のエッセンスから「信仰の自由」とは具体的にどういうものなのかを掴みとる事ができるであろう。
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