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【歴史21】スイス史備忘録23(フランス語圏改革・ギョームファレル・ジャンカルヴァン・予定説・ハインリヒブリンガー・ユグノー戦争・トリエント公会議・対抗宗教改革・カルロボロメオ・イエズス会)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①1532年にベルンからジュネーヴにフランス出身の改革派指導者のギョーム・ファレルが派遣された。

ジュネーヴはベルンのサポートを受けて1536年にサヴォワ公に忠実な司教による支配から抜け出した。

②ベルンはサヴォワ家領ヴォー地方を占領した。ヴォー地方の中心都市ローザンヌではベルン市当局の指導で1536年10月に公開討論会が開かれて宗教改革が進んだ。

③1536年にフランス人ジャン・カルヴァンが改革派の教えを記した『キリスト教綱要』をバーゼルで出版した。ファレルはカルヴァンにジュネーヴの宗教改革のサポートを依頼した。

④カルヴァンはジュネーヴに移り厳格な教会規則の制定や長老会による指導体制の確立に努めた。

神の絶対性を強調して人間の救いと滅びはあらかじめ神によって定められているという予定説を打ち立てた。

⑤チューリヒではツヴィングリの死後はハインリヒ・ブリンガーが指導的役割を担っていた。『第1スイス信仰告白』はドイツ語圏の改革派に広く読まれた。

1549年に『チューリヒ和協書』を作成した。こうしてドイツ語圏とフランス語圏に跨るスイス改革派の信仰一致点を確認した。

⑥イタリア戦争はフランスが劣勢となり1559年に終結した。フランス王はイタリア支配を断念したためイタリアはスペイン・ハプスブルク家の勢力が拡大していった。ミラノ公領もハプスブルク家のものとなった。

⑦スイス方面では1560年代にサヴォワ公がベルンに奪われていたレマン湖南岸地域などを取り戻して再カトリック化を目指した。

⑧1566年にはハインリヒ・ブリンガーが『第2スイス信仰告白』をまとめて改革派の邦と従属邦が署名して団結を示した。フランスで迫害されていた改革派であるユグノーのサポートに回った。

⑨1562年にフランス東北部のヴァシーでカトリック側の兵士が集会中のユグノーを虐殺する事件が起こった。こうしてフランスでユグノー戦争が起こった。

⑩フランス王シャルル9世は多くのスイス人傭兵を動員した。ルツェルン出身の傭兵隊長であったルートヴィヒ・プフィーファーはシャルル9世の家族をユグノーの襲撃から守り評価を得た。

⑪1545年にはじまったトリエント公会議の結果で伝統的なカトリックの教えの正しさが再確認されたが贖宥状の販売禁止や聖職者の質の改善などが協議された。

この時期の運動は対抗宗教改革と呼ばれる。

⑫スイスでは1570年にミラノ大司教であるカルロ・ボルメオが来訪したことで対抗宗教改革がはじまった。ルツェルンに教皇大使を常駐させることでローマとの関係を深めた。

⑬イグナティウス・デ・ロヨラらが1534年に創始されたイエズス会を招いて上層の人々の教育を促進させた。フランシスコ会から派生した修道会であるカプチン会に一般信徒の指導を託すなどの改革も試みられた。

⑭イエズス会の神学校では聖職者教育が行われた。

ミラノにはスイスからの留学生を受け入れるスイス神学院があり高度な教育が行われた。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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