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【歴史23】イラン史備忘録25(セルジューク朝3分離・ベルクヤルク・ムハンマドタバル・サンジャル・十字軍結成・ルームセルジューク朝・イェルサレム王国・ザンギ朝・サラディン・ヒッティーンの戦い)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①1092年10月にニザームルムルクはバクダードに向かう途中に暗殺された。シーア派の暗殺教団による犯行と云われている。

マリクシャーは11月に亡くなりセルジューク朝で後継者争いが起こった。

②後継者はマリクシャーの息子の12歳のベルクヤルクと4歳のマフムードであった。ベルクヤルクが後継者となった。1095年に叔父のトゥトゥシュと対立してトゥトゥシュは戦死した。1100年にベルクヤルクは異母弟のムハンマドタバルと5回戦った。

③イラン中央部はベルクヤルクが領有しアゼルバイジャン、アルメニア、北イラクはムハンマドタバルが領有する事となった。ホラサンやゴルガーンはタバルの異母弟サンジャル領有となった。

④1104年にベルクヤルクは亡くなりセルジューク朝は3つに分かれた。これ以後は分裂の流れとなった。

⑤1096年にヨーロッパでキリスト教徒が軍事遠征を起こした。ローマ教皇の号令によって聖地イェルサレム奪還運動が始まった。すなわち十字軍の結成である。

⑥コンスタンティノープルに十字軍は集結してアナトリアのルームセルジューク朝を攻めた。

アルプアルスラーンと争った従弟の子孫の王朝である。

⑦1099年に十字軍はイェルサレムを占領して大量のムスリムを虐殺した。地中海の東海岸にキリスト教国家としてイェルサレム王国、アンティオキア公国、トリポリ伯領が建設された。

⑧12世紀半ばになり北部シリアやメソポタミアにあったザンギ朝が十字軍を攻めた。

1187年にサラーフアッディーン(サラディン)のザンギ朝軍がヒッティーンの戦いで十字軍を打破してイェルサレムを奪還した。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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