見出し画像

【歴史23】イラン史備忘録19(ウマイヤ朝躍進・アッバース家・アブーアッバース・アッバース革命・マルワーン2世・ウマイヤ朝滅亡・後ウマイヤ朝・ムスリム急増・マンスール・バグダード建設・ハールーンアッラシード・ヒザーナアルヒクマ)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①ウマイヤ朝はインド方面やアフリカ北部、イベリア半島に軍を進めた。8世紀初頭にこの地域を領土とした。領土拡大の戦費とムスリム増加によってジズヤ収入は減っていった。

②ウマイヤ家はムハンマドの血筋から遠い事から反対勢力が出現した。ムハンマドの血統であるアッバース家はシーア派と協力してウマイヤ朝に抵抗した。

③749年にアブーアッバースサッファーフは反ウマイヤ朝勢力を集めて挙兵した。アッバース朝成立を宣言した。

750年にアッバースはウマイヤ朝のカリフのマルワーン2世を倒してウマイヤ朝は滅亡した。

④これがアッバース革命である。アッバースは革命関係者のシーア派を遠ざけてスンナ派を取り込んだ。シーア派の人々はアラビア半島からイラン高原に移動した。

⑤756年にイベリア半島にいたウマイヤ家はアッバース朝と離れて後ウマイヤ朝を存続させた。

⑥アッバース朝はあらゆるイスラム教が平等である社会を目指した。ジズヤは改宗すればアラブ人以外からとらなかった。ハラージュはアラブ人にも課せられた。ムスリムでなくてもジズヤとハラージュを納めれば他の宗教を信仰可能であった。

⑦アッバース朝の影響は大きくイランのムスリムは人口の10%から約20年で50%を上回っていった。

⑧766年にアッバース朝の2代目カリフのマンスールは新首都バグダードを建設した。

インド洋や地中海を結ぶ交通網となり商業都市となっていった。

⑨5代目カリフのハールーンアッラシード下では人口は100万人となった。世界有数の巨大都市となった。エジプトのアレクサンドリアから中央アジアのサマルカンドまでバグダードを中心に結びつけた。イスラム商人は中国やアフリカ大陸で商売をした。

⑩9世紀初頭にはバクダードにヒザーナアルヒクマ(知恵の宝庫)という図書館を建設した。

ジュンディーシャープールから多くの学者が招かれた。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

いいなと思ったら応援しよう!

真のペンギン@意識低い系
学習教材(数百円)に使います。

この記事が参加している募集