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【歴史21】スイス史備忘録44(4大政党・民主主義回復・魔法の公式・戦後経済・ミラージュ事件・ベトナム戦争・五月革命・若者運動)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①第2次世界大戦中にスイスの4大政党は危機に対応するために協力関係を強めて連邦内閣に閣僚を送り込んでいた。この連立は戦後に継承された。戦後数年間は専断政治が維持されており国民投票が中止となっていた。

②1949年に直接民主政的な制度復活を求める国民発議が行われて賛成多数の投票結果が連邦政府につきつけられた。スイスは民主主義の伝統を回復する事となった。

③1950年代に国民投票が行われて否決が相次いだ。政府による国防税の導入や売上税の増税案が国民投票によって否決された。

④社会民主党は社会主義を理想としていたがソ連のような国家主導経済政策を求めず自由主義的な市場経済に理解を示すようになった。保守人民党は労働者層の要求を傾聴して保守キリスト教社会人民党(中央党)と改称した。

⑤1959年に4人の閣僚が引退する事となった。12月には国民議会選挙の結果を反映して4大政党のすべてから議席数に比例して閣僚が選ばれた。社民党から2名、自民党から2名、保守キリスト教社会人民党が2名、農工市民党が1名であった。

⑥2・2・2・1という閣僚ポストの配分は魔法の公式と云われる。その後44年間維持された。スイスでは内閣を構成する政党の間に協定や共通の基本方針はない。

⑦戦時中にスイスと経済関係が深かったドイツは連合軍の攻撃で都市が破壊された後に占領された。スイスとドイツの貿易は激減しスイス経済は一時的に停滞した。

⑧1950年代になるとアメリカのサポートで西欧諸国の復興が進んでスイス経済は回復した。時計を中心とした精密機械工業や製薬業に加えて第3次産業が成長した。とりわけ金融業が発展した。繊維産業は衰退していった。

⑨フランスや西ドイツなどの西欧諸国は1957年にヨーロッパ経済共同体(EEC)を結成した。1967年にはEC(欧州共同体)となった。スイスは加盟しなかったがOECD(経済協力開発機構)やGATT(関税および貿易に関する一般協定)に加わった。

⑩1964年に軍部が核弾頭搭載可能な戦闘機100機を予算の枠を超えて購入しようとするミラージュ事件が起こった。スイスは核武装を諦めて1969年にNPT(核兵器不拡散条約)に調印した。

⑪東南アジアでは1960年代に共産主義の北ベトナム(ベトナム民主共和国)と自由主義の南ベトナム(ベトナム共和国)の間でベトナム戦争が勃発した。アメリカは南ベトナムを後押しした。

アメリカや西欧諸国、日本で学生を中心とする反戦運動や反体制運動が広がっていた。

⑫フランスで1968年に大きな学生運動が起こった。五月革命である。スイスの若者たちは影響されて様々な行動を起こした。

ジュネーヴやチューリヒで大学民主化運動やベトナム反戦運動、反核運動などが展開された。

⑬スイス政府は1969年に共産主義国による侵略への備えを求める冊子である『民間防衛』を作成して国民に配布したが総動員時代の軍国主義的価値観を嫌う若者たちの反感を買った。兵役拒否をする人も増えて国民皆兵に反対する国民発議運動も行われた。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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