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【歴史21】スイス史備忘録32(産業革命・自由制限・自由主義再生・七邦協約・ザルネン同盟・半邦・近代学校教育制度)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①イギリスでは18世紀末から19世紀の初めに蒸気機関や水力紡績機が実用化されて産業革命が起きていた。

②ナポレオン戦争の終結後にスイスでは近代的な工場が建設された。繊維製品や時計製造のみならず1819年にフランソワ・ルイ・カイエを始めとするチョコレート工場がつくられて板チョコがスイスの名物となった。

③1820年代には蒸気船がつくられてスイスの主要な湖や河川で
運航するようになって観光客を運んだ。

④当時のスイスは営業の自由は制限、信仰の自由や出版・言論の自由、結社の自由はなかった。各邦の関税が復活しており通貨も度量衡は邦によって異なっていた。

⑤邦の枠を越えた民間団体がいくつも生まれた。地域や身分に関係なくスイス人同士の連帯を強める場となった。小復古の時期に芸術家協会が誕生して音楽協会や体操協会などが設立された。

⑥活動を止めていたヘルヴェティア協会が1807年に再建された。1819年には学生の交流組織であるスイス学生協会が設立された。1824年に設立された射撃協会には傭兵のみならず一般人も参加した。

⑦ウィーン体制の時代、ヨーロッパ各国では、王侯貴族や教会の権威を批判する革命思想は厳しく弾圧された。

スイスはナポレオン支持者やカルボナリなど各国で弾圧された革命家が潜伏していた。

⑧フランスでは復活したブルボン朝が保守的な政策を推進したので国民の不満は高まっていた。

1830年に七月革命が起き、ブルボン朝は再び打倒され自由主義的な立憲君主政のオルレアン朝が成立した。

⑨スイスはフランスの影響を受けて自由主義の再生という改革運動が広がった。ベルン、チューリヒ、ヴォーなど複数の邦で法改正が行われた。信仰や言論の自由、個人の権利が拡大された。

ザンクトガレンですべての法律案を住民投票にかける制度がつくられた。

⑩1832年3月にチューリヒ、ベルンなどの革新派が七邦協約を結んだ。1815年制定の同盟規約の全面改正を目指した。対抗してウーリ、シュヴィーツなどの保守派はザルネン同盟を結んだ。

⑪両派は対立して多くの邦で政情が不安定になった。チューリヒのウスターでは1832年11月に工業化によって生活を脅かされた民衆が工場の焼き討ち事件を起こしている。

⑫バーゼルでは議会の主導権を握っていた都市部の保守派と農村部の革新派による内紛が激化して1833年に邦自体がバーゼル都市部とバーゼル農村部に分割された。2つの地域は半邦とされていた。盟約者団会議ではそれぞれ0.5票分の表決権を持った。

⑬教会から独立した近代的な学校教育制度は確立に向かった。高等教育の充実がはかられ1833年にチューリヒ大学、1834年にはベルン大学がそれぞれの邦に設立された。前身はプロテスタント教会と結びついた古い大学や神学院だったので神学部は存続した。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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