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【歴史23】イラン史備忘録26(セルジューク朝実態・アタベク朝・詩・ゴルガーニー・アマーニ・オマルハイヤーム・ニザーミー・モスク・イーワーン・ジャーメモスク・アラベスク・ミニアチュール)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①セルジューク朝の中心地ではスルタン内紛が起こっていた。そのため中心部隊は十字軍と戦っていなかった。地方にセルジュークを名乗る小さな王朝が群立していた。

②セルジューク朝の王族の男子はすぐ亡くなったため幼い王子だけが残される事があった。

王子を救済した有力者が後見人となった。王子の母親と結婚して義父となり権力者となったものをアタベクという。

③セルジューク朝は3分割以降は中小のアタベクが各地で実権を持っていたのでアタベク朝とも云う。十字軍に敗北したルームセルジューク朝、十字軍を撃破したザンギ朝もアタベクであった。セルジューク朝は中央集権体制ではなかった。

④セルジューク朝下ではアナトリアから中央アジアまではペルシア語が使われていたがイラン人の詩が影響している。ゴルガーニーやアマーニなどが有名である。オマルハイヤームは天文学者としても有名である。12世紀のアゼルバイジャン詩人のニザーミーはこの地方の王朝でいくつもの詩を読んだ。

⑤この時代はモスク(平伏場/マスジド)が各地に建設された。

イスラーム教は偶像崇拝を禁止しているのでキリスト教会と様相は異なっている。イランでは4つのイーワーンと中庭のあるモスクが主流であった。

⑥イラン中部のジャーメモスクはセルジューク朝の特徴が顕著である。モスクの壁画や絨毯はアラベスクという曲線模様が施されてコーランの文言が書かれた。ミニアチュールという写本絵画も発展した。ササン朝の伝統も継承されている。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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