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【歴史21】スイス史備忘録16(司教領同盟・灰色同盟・十裁判区同盟・保護同盟・従属邦・共同支配地・盟約者団会議・主権邦)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①盟約者団は周辺地域に対するサポートで影響力を拡大していった。スイス東部のフォルダーライン川、ヒンターライン川、イン川の渓谷地帯であるグラウビュンデンにみられた。

②この地域に14世紀後半から15世紀にかけて平和を維持する3つの同盟組織が成立した。クール司教の領地にできた司教領同盟、フォルダーライン川の一帯にできた灰色同盟、ダヴォスを中心とした十裁区同盟である。

③1402年にウーリの軍隊がミラノ公の支配下にあったティチーノを攻撃してその北部を一時的に征服した。これがスイスのイタリア語圏の誕生につながった。

④1403年にはルツェルン、ウーリ、ウンターヴァルデンがヴァリスと保護同盟を結んでザンクト・ゴットハルト峠の西側に進出した。1410年にウーリはザンクト・ゴットハルト峠の北にあるウルゼルンと保護同盟を結んだ。

⑤1411年にスイス北東部のサンクト・ガレン修道院の支配下だったアペンツェルが自治を求めてスイス諸邦と10年期限の保護同盟を結んだ。翌年にはザンクト・ガレンもスイス諸邦と保護同盟を結んだ。

⑥盟約者団と保護同盟を締結した多くの地域は従属邦と呼ばれた。従属邦は盟約者団の正式メンバーではなく共同支配地の経営に参加はできなかった。ただ他の地域から戦争を仕掛けられた場合には盟約者団の軍事力に頼る事ができた。

⑦14世紀末以降にカトリック教会は混乱していてローマ教皇がローマとアヴィニョン、ピサにそれぞれ存在する事態が起きていた。

ルクセンブルク家の皇帝ジギスムントはピサの教皇ヨハネス23世と争っていた。

⑧1415年に盟約者団は皇帝の要請によりピサ教皇をサポートしていたハプスブルク領のアールガウを攻撃した。盟約者団は獲得したアールガウの一部を最初の共同支配地にした。

⑨そしてスイス各邦の代表がバーデンで盟約者団会議を開く事になった。保護同盟・従属邦・共同支配地などに関する緊密な協議が必要になった。このような協議を対等な立場で行う権利のある邦を主権邦と云う。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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