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【歴史21】スイス史備忘録29(チザルピーナ共和国・ヘルヴェティア共和国・スイス革命・革命抵抗運動)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①ナポレオン率いる軍隊が1796年にイタリア北部を占領してチザルピーナ共和国を樹立した。翌年にグラウビュンデンの臣従地だったヴァルテリーナなども共和国に編入された。

②ヘルヴェティア協会に属するバーゼル政治家ペーター・オクスはパリ訪問時にフランス政府からスイスでの革命推進を要請された。オクスはフランス軍の介入を嫌った。1798年1月にバーゼル体制転覆を武力なしで行った。

③革命勢力はフランスの手引きで1798年4月にヘルヴェティア共和国を発足した。一連の政変はスイス(ヘルヴェティア)革命という。

1795年に制定されたフランスの憲法を参考にしてオクスが用意した憲法が導入された。

④二院制の議会と5人の総裁をトップとする政府がつくられた。

各邦の境界は廃止されることでスイス全土が初めて一つの国家となった。

盟約者団は解体されて各邦は行政単位としての州(カントン)となった。

⑤主権邦に支配されていた地域が別々の州になったが原初三邦とツークは合併した。

フランス語・ドイツ語・イタリア語が公用語となった。しかしヘルヴェティア共和国はフランスが支配する傀儡国家だった。

⑥フランスに倣った中央集権化を推進するオクスたちと盟約者団の伝統的地方分権を支持する勢力の対立が生じた。

⑦1798年9月にニートヴァルデンで革命に反対する抵抗運動が起きて多くの犠牲者が出た。中央集権派と地方分権派の対立、新しい税や徴兵制に対する民衆の反発でクーデターが多発して国内は混乱していた。

⑧1799年に第2次対仏大同盟が結成されてオーストリアやロシアとフランスとの戦争が激化した。

内紛が続きスイスも巻き込まれた。

⑨1802年5月に中央集権派が地方分権派に歩み寄った内容の体制変更案が提案された。近代スイスの最初の国民投票において反対票が賛成票を上回ったが棄権を同意とみなす方式で可決された。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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