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【歴史23】イラン史備忘録27(マフムード2世・アフマドサンジャル・大スルタン・ホラズムシャー朝・クトゥブウッディーン・アトスズ・カラキタイ・スルタンシャー・テキシュ・アラーアッディーンムハンマド)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①1118年にムハンマドタバルは亡くなり息子のマフムード2世がスルタンとなった。王朝内では反発勢力がいたためタバルの弟のアフマドサンジャルを持ち上げて対抗した。

②サンジャルはホラサン地方を攻め支配していた。1119年にサンジャルはマフムード2世下のセルジューク朝に軍事的圧力をかけて権威を認めさせた。

③サンジャルは大スルタンとなってマフムード2世は数年後に亡くなった。サンジャルはセルジューク朝の権威を握った。

ガズナ朝打倒のために中央アジアへ攻め込んだ。中央アジアにはホラズムシャー朝があった。

④10世紀の中央アジアではトルコ系民族やイラン系民族が生活していた。ホラズム語が話され農耕をしていた。イランや中国やロシア南部の交易をしていた。11世紀初頭にホラズムシャー朝はガズナ朝に支配されてその後セルジューク朝に支配された。

⑤1097年に総督のクトゥブウッディーンはホラズムシャーを名乗って独立した。大スルタンのサンジャル配下になったクトゥブウッディーンは1127年に亡くなり息子のアトスズが継承した。

⑥アトスズはガズナ朝との戦いのために軍役を課せられたため1135年にサンジャルに抵抗をした。

1138年にサンジャルに制圧をされた。1141年には女真族に敗れたカラキタイ(西遼)が東から流入してきた。

⑦サンジャルはカラキタイとの戦いに敗北するとアトスズは再度反抗をした。これ以後何度も戦いが発生した。1156年にアトスズは亡くなり1157年にサンジャルが亡くなった。セルジューク朝とホラズムシャー朝の戦いは終焉した。

⑧1189年にはスルタンシャーがホラズムシャー朝からスルタンの位をアッバース朝のカリフから授かった。1197年にスルタンシャーの弟であるテキシュがイラク・ホラサン・トルキスタンのスルタンの位をアッバース朝のカリフから授かった。

⑨セルジューク朝の権威はなくなっておりホラズムシャー朝のスルタンがセルジューク朝の後継者となっていた。1217年にテキシュの息子であるアラーアッディーンムハンマドが中央アジアから今のイランをほぼ全土支配した。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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