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【歴史21】スイス史備忘録22(キリスト教都市同盟・キリスト教連合・第1次カッペル戦争・シュマルカルデン同盟・第2次カッペル戦争・再カトリック化)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①チューリヒなどの改革派の邦は1527年以降にツヴィングリの考えを受け入れてきた西南ドイツの帝国都市コンスタンツと連携してキリスト教都市同盟を結んだ。

②カトリック五邦である原初三邦、ルツェルン、ツークは1528年にキリスト教連合を結成し1529年にはオーストリアが連合に入った。

③1529年10月にベルン領のベルナーオーバーラントの住民が集会を開いてカトリック維持を決議してウンターヴァルデンの軍事的サポートを受けた。

④これは1481年のシュタンス協定に違反していた。チューリヒがカトリック五邦に宣戦布告して両陣営の軍隊はチューリヒとツークの境界地帯で睨み合っていた。

これが第1次カッペル戦争である。

⑤グラールスの仲裁で和解が成立した。この後に結ばれた平和条約では両宗派はお互いに信仰を強制しない事、キリスト教連合は解散する事などが約束された。

条件の内容は改革派に有利だった。

⑥ヘッセン方伯フィリップの仲介で聖書理解が異なるツヴィングリとルターが1529年に会談を開いたが対立は克服できなかった。政治的には接近する事となった。

⑦チューリヒ、バーゼル、ストラスブール、ヘッセン方伯による同盟関係が生まれた。

1531年にドイツ福音派がシュマルカルデン同盟を結成した。同盟にヘッセン方伯とストラスブールが参加していたのでスイス内の改革派諸邦とドイツの福音派の結びつきが強化された。

⑧1531年10月にカトリック五邦の奇襲によって第2次カッペル戦争が起こった。改革派は敗北してツヴィングリは戦死した。その後の平和条約で各主権邦・従属邦の宗派選択の自由と両宗派の同権が盛り込まれた。

⑨共同支配地は住民が改革派からカトリックに復帰する事が認められたが逆の改宗は許可されなかった。こうして共同支配地では再カトリック化が推進された。改革派諸邦がヘッセン方伯などと結んでいた同盟は解消させられた。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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