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【歴史21】スイス史備忘録30(小復古体制・調停法・ナポレオン戦争・神聖ローマ帝国滅亡・ロシア遠征・ナポレオン下野)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①フランスではナポレオンが1799年11月に実権を握って各国の軍隊を撃破した。1801年2月にオーストリア、1802年3月にイギリスと和平を結んだ。フランス軍はスイスから撤退した。

②ナポレオンはヘルヴェティア共和国を解体し始めた。ヴァレーを独立邦としてアルプス交通を確保した。

③スイスの代表者をパリに招いて1803年2月に各邦の体制を定めた調停法を作成した。これが小復古である。スイス革命以前の分権の旧体制と革命後の新体制が共存した。

④ザンクトガレン、グラウビュンデン、アールガウ、トゥールガウ、ティチーノ、ヴォーの6つが新たな邦となった。

スイスは19邦に再編された。ジュネーヴやヴァレーはフランス領に編入された。

⑤19邦のうち13邦では地域の有力者が参事会を通じて住民を支配する体制が復活した。農村邦では古い直接民主制が復活した。新しい6つの邦ではフランス式の代議制が維持された。

⑥調停法ではカトリック地域のフリブール、ルツェルン、ゾロトゥルン、プロテスタント地域であるベルン、バーゼル、チューリヒという主要な6邦の代表が1年交代で知事(国家元首)を務める事が定められた。

⑦そこには1人の国家元首に軍事や内政主導権を委ねると盟約者団の政府を操作しやすくなるというナポレオンの思惑があった。

⑧スイスは1803年にフランスと防衛同盟を結ばされ1万6000万ひとの傭兵の提供を義務づけられていた。

⑨ナポレオンは1804年5月にフランス皇帝ナポレオン1世となった。

ヨーロッパ諸国は第3次対仏大同盟を結成してフランスとの戦いを再開した。

⑩スイスはフランス本土を守る中立地帯であり盟約者団会議は武装中立を宣言した。オーストリア軍がアルプス一帯を経由してフランスに侵攻するのを阻むために数万人のスイス人傭兵がフランス軍に動員された。

⑪ナポレオン1世は対仏大同盟の軍勢を撃破した。イギリスとロシア以外のヨーロッパの大部分を制圧した。

1806年に神聖ローマ帝国は解体されてスイス内で神聖ローマ帝国に属していた邦は独立することとなった。

⑫1812年5月にナポレオン1世はロシア遠征を始めた。戦闘が長期化して武器や食料がなくなり冬の寒気によって敗退した。9000人のスイス人傭兵が動員されたが戻って来れたのは700人であった。

⑬1813年10月にナポレオン1世はライプツィヒの戦いで対仏大同盟軍に敗北した。

盟約者団は中立を維持したまま、オーストリア軍がフランス軍を追撃するためにスイス西部を通過するのを黙認した。

⑭フランスに侵攻した対仏大同盟が1814年4月にパリを占領してナポレオン1世は失脚して捕まった。地中海のエルバ島に追放された。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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