【日本史9】明治史備忘録41(二葉亭四迷・浮雲・坪内逍遥・森鴎外・樋口一葉・言文一致体・句読点・徳富蘇峰・国民之友・三宅雪嶺・陸羯南・壮士劇・川上音二郎・演歌・河竹黙阿弥)
①小説家の二葉亭四迷は1887年(明治30年)に口語体を書き言葉にした言文一致体の『浮雲』を著した。劇作家の坪内逍遥の『小説神髄』の影響を強く受けた。
②明治時代の中期には文語体と口語体が両方とも使われていた。陸軍の軍医の森鴎外はドイツ留学体験をベースとした文語体の『舞姫』を発表した。樋口一葉の『たけくらべ』は擬古文と呼ばれ口語体に近い文語体であった。
③結果的に言文一致体は東京庶民の口語に近い表現となった。これが現代日本の標準語の母体である。
④江戸時代までの日本語は方言の違いが大きかったうえに公家、武家、農民、町人の言葉遣いは違った。
文学作品や新聞や雑誌といったマスメディアを通して口語体の標準語が形成されて国民の一体感は高まった。
⑤フランスやドイツといった西洋諸国でも19世紀に国民国家が確立されるプロセスで統一的な国語が成立した。二葉亭四迷を筆頭とした作家はこの点を重視していた。
⑥1904年(明治37年)に文部省が作成した小学校の国定教科書に言文一致体を採用する事が定められた。明治期に活字を使った印刷物が流通して句読点使用が定着された。
⑦明治末期には文部省が学校教科書の統一のために句読法案が明文化されて一般的な句読点の用法が確立した。
⑧文筆家の徳富蘇峰は1887年(明治20年)に雑誌『国民之友』を創刊して民権派の政治家の論説や二葉亭四迷や森鴎外、幸田露伴や尾崎紅葉たちの小説を形成した。
⑨ジャーナリストの三宅雪嶺は1888年(明治21年)に雑誌『日本人』を創刊して1889年(明治22年)に陸羯南(くがかつなん)が新聞『日本』を創刊した。
主に政府の欧化政策を批判して伝統的日本文化を擁護した。
⑩西洋の近代的な演劇に倣った新劇が普及した。一部の演劇関係者は民権派の思想を人々に伝える壮士劇を公演した。役者の川上音二郎は民権派の演説を独特の節回しで歌にした演歌を広めた。
⑪明治時代中期にはラジオやレコードはなかったが、政府風刺をこめた歌謡曲である『オッペケペー節』は全国的に流行した。
⑫庶民には歌舞伎、浄瑠璃、落語、講談などが人気であった。
河竹黙阿弥は西洋演劇の影響で歌舞伎に近代的作劇や感情表現を取り入れた。
⑬歌舞伎役者の9代目市川團十郎は正確な時代考証などの要素を取り入れた。落語家初代の三遊亭円朝は江戸時代の落語の多くを口述筆記で広めて江戸の庶民の口調を文章にした。
■参考文献 『1冊でわかる明治時代』 大石学 河出書房新社
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